はらみちをコラムコーナー

”手話は芸術だ”

  トクちゃんは耳が聞こえません。
ろう学校の三年生です。兄ちゃんも耳がきこえません。兄やんは家を助けるためにろう学校へ行かず大工になります。二十の徴兵検査のとき「貴サマッ!きこえんふりして徴兵忌避する気カァッ!!」と軍人に殴られ半殺しのめにあいます。
 戦中ろう学校の卒業生は徴兵免除でした。
 理由は頗る簡単、命令が伝わらないからです。
 父は病死。母は軍需工場へ。姉は宇品の陸軍病院へ。トクちゃんは小さいながら留守をまもり台所の用事をしていました。
トクちゃんのろう学校は遠い吉田町のお寺に学童疎開していました。先生が何度もやって来てヒロシマに居ると空襲で殺されるよ、早く吉田へ来るようにと誘いました。けどトクちゃんは大の仲好しの犬のシロと別れるならイヤだといいはります。
 その時、ピカッ!と物凄い閃光が走り、ドドーン!!と山を吹きとばすような強烈な音がして、熱風のかたまりがまちをつっ走りました。気がつくとトクちゃんは崩れた壁の隙間にいて助かっていました。
 恐る恐るトクちゃんは外に這い出して呆然とします。今までみたこともない地獄のような阿鼻叫喚の光景に放り出されたのです。しかもこの恐怖を越えて迫ってくる全く音のない不気味な深い不安感・・

 これが今回書きおろしたミュージカル手話劇のあら筋である。今迄原爆をテーマにしたものは出盡くされてるけど、この聴覚障害の立場からみたものはなかった。この音のない恐怖に叩き込まれた底知れぬ不安もキッチリ刻んでおかないとほんとのヒロシマを語ったことにならぬ。
これは絶対ミュージカルだと考えた。音のない世界が何故ミュージカルなのか。”手話”がある。手話は鮮烈な手の音楽なのだ。
 作曲家のあきたかしに思いを語り協力を願った。竹中のグループ(とっておきの芸術祭inヒロシマ)に出演を持ちかけると即刻OKがでた。竹中さんは聴覚障害者で車椅子だが手話指導やジャザイズなど活発な活動を展開していた。彼らも原爆はいずれ取り組むべきテーマだったという。
 発表の場は「ヒロシマ将来世代フォーラム八月六日」というイベントで国際会議場のフェニックス大ホールだった。与えられた時間は僅か十五分。それも日数が迫って三日しか練習が出来ない。それだけに熱がこもった。
 練習中いろいろな壁に直面した。音楽と手話と身体演技がワンテンポずれて間がのびる。これが一般観客にみせる劇として問題になった。仲川文江さんの演出がよかった。ろうの立場からやり易いように脚本は何度も書き直された。当初の表現媒体はナレーションに寄りかかり過ぎだったのだ。
 兄役の梶原くんは音楽がきこえないので絶えず目を周囲の動きで察知しようとキョロキョロする。仲川さんが舞台隅から手話で指示をとばすがどうしてもずれが出る。こうなると梶原くんが兄やんになり切り自ら歌う手話行動をおこして周りを引張るしかないと厳しい努力を促すのだった。梶原くんの真摯な目がキラッと光った。
 きこえない世界から/聞こえるものきいて下さい/ほんとの言葉とほんとの平和を/橋がおちる/大地が裂ける/川が燃える/なのに/きこえない きこえない/この怖ろしい風景が/シーンと静かだ
全身火傷でボロボロの/幽霊が歩いていた幽霊が歩いていた/おろおろのろのろ
 燃え狂うまっ赤なライトを浴び被爆者の群が彷徨うシーンに迫力があった。一転し焼土に家を建てる兄やんと手伝うトクちゃんの再生の姿。そして圧巻は総出演したフィナーレの「きこえない世界から」の手話コーラスだった。そこのは手話という言葉の記号を超え、心に打ち寄せる巨大な波のような手の音楽という芸術があった。手話は芸術だァ・・観客は異様な美に息をのんだ。暫くして大きな拍手が湧き興った。

 


      

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