| 風 の 鞘 |
| Raphie様 |
初めて彼とであったのは、まだ普賢自身も仙人界に来て間もないころであった。 仙人界で賜った名は太公望。元始天尊が自らスカウトし、初の直弟子となる彼はちょっとした有名人であった。 型どおりの自己紹介と挨拶を交わしてから、普賢は彼を見て、驚きを隠せなかった。 すべてが異質な存在に見えた。 表情はその幼い容姿に不似合いなくらい憎しみという暗い感情に染まっていた。 世界中のすべてを敵に回したような、そんなきつい瞳の持ち主であった。 まるで自分に向けられているかのようなその表情に普賢は戸惑いを隠せなかった。 明らかな拒絶、あからさまな敵意。 今まで会ったことのないタイプの人間であることは違いなかった。 しかし、何より印象的であったのは、時折見せる切なそうな、そして穏やかな表情であった。 多分それは無意識の産物で、きっと本当の彼の姿。 そのときから普賢は太公望という人物に興味を持ち始めた。 次に会ったのは10年くらい経ってから。 とても印象が変わっていて驚いた。 爺くさい言葉使いになったのはこのころからだったような気がする。笑顔も見られるようになった。 妙に人当たりのいい人間になった太公望と話すようになったのもこの頃から。 けれど、その根底にある暗いものは消えてはいなかった。 仙道の存在理由。 人間界のこと。 そして平和について。 朝から晩まで語り合うような仲になっていった。 とても彼とは気があったように思える。 争いを嫌い、平和を求める、それが本当の彼の姿だと確信した。初めて会ったときの柔らかな印象は 本当の彼の姿をあらわしていた。 でも、やっぱり妲己への憎しみは消えてなくて。 戦いのことは忘れてなくて。 平和を求めながら、殺したい欲望を抱いている。二つの矛盾する感情をもてあます彼はとても危うくて、 ただ見ているだけの普賢は己の無力さをうらんだ。 「釣れた、釣れた。にじますだのう!!」 太公望と二人で元始天尊の黄巾力士を盗んで人間界に遊びに来た時のこと。 太公望は、川で釣りを楽しんでいた。普賢は近くの岩場でその様子をただ見ているだけだった。 そこの川はなかなか魚がたくさんいるようで、針を沈めるとすぐに魚がかかった。 うれしそうに釣った魚を針からはずし、すぐに川に戻す太公望の姿を笑顔で見つめながら普賢は彼のそばに近づいた。 「望ちゃん、そんなことをするために人間界にきたの?」 その口調は咎めるふうでも、嫌味を含んでいるわけでもない。一番近いのは「確認」であろうか。 「・・・・・・普賢」 彼の顔から笑みが消えた。 竿を見つめた太公望はその問いに何も答えない。 ただ、先ほどの笑顔はなく、竿を握り締めるその手に力がこめられた。 「わかってるよ」 一方、普賢は笑顔を絶やすことなく、優しい口調で太公望に語り掛ける。 「え?」 普賢の言わんとすることがいまいち理解できず、太公望は彼のほうに顔を向けた。 「わざと楽しそうに振舞ってる。そんなときの望ちゃんは戦いのことを考えている」 太公望が家族と故郷を奪った妲己への恨みを、憎しみを抱いていることは知っている。 太公望は首を横に振り、答えた。 「・・・・・・ただの復讐心だよ。戦いとかそんなたいそうなものではない」 何も映さないうつろな表情。ともすればそのまま闇に落ちてしまうのではないかと 思えるほどその目は暗い。 太公望は目を閉じた。 忘れようとすればするほど憎しみはくすぶりつづけている。 いつまでも妲己への恨みが太公望を苛んでいる。 いまだに見る燃え盛る炎の夢。すべてがモノクロームの風景なのに炎だけがいやに紅くて・・・・・・。 「もう忘れてしまったよ」 釣りざおを引き上げ、岩場に置き立ち上がる。そして普賢のそばに来てそこに腰をおろした。 太公望は自嘲的に普賢に笑いかける。 「家族のことも、故郷のことも。もうみんなの笑顔を思い出せない。ただ、覚えているのはあの時の炎の紅さと熱さだけだ」 妲己への憎しみだけが残された。 「望ちゃん・・・・・・」 幾度となく聞いた太公望の告白。 本当のことを言いたがらない彼が話すのは本当につらいときだけだ。 時とともに思い出は風化して、憎しみはより鮮明になっていく。 「妲己への恨みが、憎しみがいつまでも消えない。わしはあやつを倒すためだけに仙道になったのだよ」 ふと、何かに気づいた太公望はその話を途中で中断させた。 そして、今度は自嘲的でもなく、人工的でもない、ごく自然な笑みを浮かべた。 「争い事が嫌いなお主には嫌な話だのう。悪かった、わすれてくれ」 普賢は間髪いれずに続けた。 「望ちゃんだって、本当は争い事が嫌いなんじゃないの?」 その根拠を普賢は言わなかった。あまりにも抽象的な理由。理知的な友人は根拠のない理由は好まないはずだ。 明確な、証明できるそれでなければ納得はしないだろう。 それは漠然とした印象。 憎いと言いながら、本当は憎んでいるのではなく。 「妲己を倒したい」と言うのも復讐のためではなく、純粋に人間界を思っているはず だ。それなのに彼は自分の負の感情を理由にしている。 おそらくそれは自分だけ生き残ってしまったと言う罪悪感からだろう。 「そう、望ちゃん、君は本当は誰よりも平和を願っているようにみえるよ」 それは推量ではなく、希望でもなく、確信。今までずっと言えなかった言葉。 きっと否定されるだろうから。 けれど、そのときは言っておかなければならないような気がした。 それはきっと彼が、そう遠くない未来に戦いに身を投じるから。 「でも・・・・・・」 少し普賢の顔が憂いに曇る。 「ん?」 「望ちゃんはいつか、戦いに身を投じるような気がする。 心の奥にあるぎらぎらと光る刃がきっと望ちゃんを戦いへと駆り立てる」 「そうか・・・・・・」 二人の間に沈黙が走る。 お互いに何も言わない、聞かない。 どれくらい経ったのか。ずいぶん長い間だったような気もするし、ほんの数秒のことかもしれない。 「望ちゃん、僕が君の鞘になるよ」 自分は無力だから。そのときになってもいっしょに戦えないかもしれない。だから、せめてその刃を守る鞘になろう。 彼の中で光るその刃を守るために。 そして、その刃から君の心を守るために―――――。 |