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「県立山口大学に赴任 鋭意 集中講義をしています」と おハガキを頂戴した鳥越文蔵博士によると、「近松の生誕が 福井県鯖江市とされたのは大正の学会であった」という。
わたしたちは 敗戦直後 教員の指示により墨と筆で自分じぶんの教科書にある 天皇陛下とか 神軍とかいう文言をすべてぬりけして あちこち墨で削除されたために てにおはもツジツマがあわず 読みあげることすらできない教科書を 手にした世代だ。
「ほこの先からおちるしずくで 日本列島ができた」だの まったくなんの科学的根拠のない話を デッチあげ われわれ小学生に 歴史教科書として配布したのも 呪うべき大正の教科書を作成した軍国主義権力の幇間 腰巾着でしかなかった学者たちによるものだ。 改竄したのが 早稲田大学教授であったのかは知らないが 福井生誕系図に「活字に似せた文字で 信盛こと近松という文字を 書きくわえてある」のも たぶん そうした一連のデッチアゲの作為の過程であったのだろう。
軍国主義権力の幇間として 日本を戦争に導いていった御用学者たちの 戦争責任という問題である。 このホームページは ほかならぬ当の鯖江市公民館からいただいた資料自身により まず福井生誕説そのものの矛盾を明らかにしたうえでの 従来の定説をくつがえす世界で唯一無二の 長州生誕史料を 掲載したホームページだ。長州生誕史料を 掲載したホームページだ。 二OO一年三月。 わたしは腎臓ガン手術により左腎臓を摘出した。
現在はそのアフターケア中だ。
だれも残された自分の生存時間が どれくらいあるのかは{全知全能の超越存在である神のみぞ知ること}だ。
わたしが亡くなれば このホームページも 自動的に閉鎖されるから 近松研究や歴史研究に興味ある向きは ぜひ 随時ご自由にオリジナルCDなどに 保存されておくことを お薦めしておきたい。
なお 2001年3月 私が腎臓ガンによる左腎臓除去手術のために 労災病院に入院中に 鳥越文蔵教授は下関に 来関され わたしの親友の下関の海事史学会員の沢忠宏氏と 歓談された折り「越前には近松が越前で生まれたことを証明し得る史料など 何もない。みんなただのツクリバナシにすぎないことがわかったと 近松福井生誕説を手きびしく非難された」という連絡が 当の沢さんから電話であったというメモも あわせてここで お報らせしておく。
二千一年八月 山口県の軽井沢 美祢市大嶺町祖父ケ瀬の寓居にて 長門市近松みすず懇話会委員 宮 原 英 一
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