| 江戸時代の随筆家 暁鐘成の随筆、 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| 暁鐘成「晴翁漫筆」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| (浪速叢書「第十一所収) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| 秘蔵・京都帝大付属図書館 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| 史料提供 二松舎大學国文学科教授竹野静雄氏 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 近松門左衛門ハ長州萩の産にて、同藩の臣杉森某の男なり。卯花園漫録にハ越前の人とス。おそらくは誤りならんか。(京摂戯作者考より) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| ☆ 近松門左衛門ハ長州萩の産にて、同藩の臣杉森某の男なり。名は 信盛俗称平馬という。平安堂巣林子。不移山人の数号あり。卯花園漫録にハ越前の人とス。おそらくは誤りならんか。若くして肥前唐津近松寺に遊学し、のち 京師にのぼり、ある堂上方ににつかえ奉り 爵六位階を賜う。元禄のころ 仕官を辞して退き、浪人して 近松門左衛門と名のり、歌舞妓芝居 都満太夫が座の狂言の作をなし、また宇治加賀掾 井上播磨掾らがために 浄瑠璃をつくる。その後 元禄三年、庚午正月 京師より浪華にくだり 竹本筑後掾がために 浄瑠璃あまた著述し その名を世にとどろかせり。もとより和漢の書籍をまなび、博識にして しかも時世の人情を察し、下情を穿ちて百余番の浄瑠璃をつくる。中にも蝉丸、浦島年代妃、媼山姥。曽我五人兄弟、加古教心七墓参り、用明天皇職人鑑。傾城反魂香、碁盤太平妃、相模入道千匹犬、楓狩剣本地。持統天皇歌軍法、嵯峨天皇甘露雨。天神記。日本振袖初め、本国三国志。信州川中島合戦、宵庚申。平家女護島、槍権三重帷子。河内通。重井筒、わけても国姓爺合戦ハ大当たりにして、十一月より興行はじめて 三年目の三月まで 打ちつづけて 都合十七月の繁盛なり。また雪女五枚羽子板、曽我会稽山ハもっつとも妙作といふべし。享保九年 甲辰十一充月二十一日七十二才にて没す。浪華妙法寺に葬る。すなわち当寺に碑あり、 また河辺郡久々知広齊寺にも石碑あり。辞世の文 左に写す ☆ 代々甲冑の家に生まれながら、武林を離れて、三槐九卿に仕え(宮原注解 三摂関家、九晴華家のこと) 咫尺し(宮原注解 天皇の側近くという意 )奉りて寸爵なく、市井に漂いて 商売知らず、隠にて隠にあらず、物知りにて 何にもならず、世のまがいもの 唐のやまとの教ある道々。伎能雑芸滑稽の類まで、知らぬことなげに口に任せ、筆に走らせ、一生をさえずり散らし、今際のきわにいふべく思うべき、真の一大事は一字半言もなき倒惑、心に心の恥を覆ひて 七十あまりの光陰、思えば覚束なきわが世経畢 もし辞世ハととふ人あらば、これ辞世さる程に、さてもそののちに残る桜の花に匂はば 享保九年中冬上旬入寂 阿耨院穆矣日一具足居士 不俣終焉期予自己春秋七十二才囗囗 のこれとは思うもおろか埋火の けぬまあだなる朽ち木がきして 一説に門左衛門の兄は相国寺の長老。弟は岡本一抱といふ名医なり、妹は錦江といふ俳諧師にて、浪華に住す。同胞のみか世に高しといふ。 ☆ 東都本庄柳島法性寺の境内に建てるところの碑あり、勒していふ。
☆ 按ずるに、錦小路頼廉朝臣の五五記にも、この碑文のごとく、一条禅閣兼良公に仕ふる由みたり。然れども兼良公ハ文明十三年に薨去ありて、近松とハ二百余年の昔なり。もしくハこの公に仕へし子孫にやあらん。不審し。 また近松門左衛門ハ肥前唐津禅寺の小僧にて古澗と号す。積学によりて住僧となりて義門とあらたむ。徒弟あまたありしが、しょせん一寺のあるじとなりてハ衆生化度の利益うすしと大悟し、ついに行脚に出しが、その頃内縁の舎弟岡本一抱子という儒医京に有りければ、これに寄宿し、還俗して堂上方に奉仕し、有職のことをも大概記憶し その後浪人して 京都浄瑠璃芝居、宇治加賀掾、井上播磨掾、岡文弥、角太夫等の浄瑠璃狂言を著述せしが、竹本義太夫に頼まれ、浪華にくだり、出世景清といふ新作を書けり。これ近松が 義太夫本戯作のはじめなり。これよりして百余の作を著ハせり。凡てこの人の作は勧善懲悪を旨として衆生済度の方便を文中にこめたり。これ初めよりの願望なり。また近松氏と名のることハ、近松寺に在りし古えを忘れざる微意なるべしと、近松寺の僧の説話なりと、並木五瓶が戯財記録にに見へたり。 ちなみにいう。浪華妙法寺に建てるところの石碑はいたって麁にして微小なるをもって、知己某これを再建せんとて、東国武士の太田蜀山人に文を乞ひて、すでにその稿なりしかど、ゆえありてついに成就せず、その人もまた没せり。しかるにその草稿、予が手にあるを以って、その志を世間にあらわさんがためにここに写せり。
☆ 門人近松半二。門左衛門が遣うところの硯を伝えて遺品とす。その蓋に漆して「事取凡近而義発動勧懲」の九字を記す。これは立翁伝奇の序に。昔人之作伝奇也、事近而云々といふ語をとれり。近松が小説に心寄せし事、此れ知らる。此人ハ実に本邦の李笠翁(宮原註。杜甫のこと)なりといふ。 (宮原註。並木五瓶は、近松と同時代の劇作家で近松の天神記を改作した系列として、「菅原伝授手習鑑」と並木五瓶の「天満宮菜種御供」は 双璧をなしているといわれている。
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