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筆者の叔母で 三隅町沢江在住 元三隅町長(山口県町村長会会長)の故森沢雄二の妻 故美佐子(旧姓宮原美佐子)。
中原中也の父 中原勘助が身元保証人になり、二歳上の中也と同じ屋根の下、湯田の中原邸から お下げ髪で 山口県女に通学した少女だった。
中也の祖父母はクリスチャン。中也は「神の存在」について 家庭で多くの影響を受けた。中也の二歳下で 中也と同じ屋根の下で 多感な女学生時代を暮したわが叔母美佐子も 終生 坂田寛夫などクリスチャン作家のフアンだった。
おそろいの霜降りの詰襟の学生服で 県下よりえり抜きの秀才たちが 山口の街を歩いていた大正時代の山口中学に 中也はただ一人 大きな真紅のマントをひるがえして湯田の町を 闊歩していて 山口中学の教職員や親からもヒンシュクをかっていて とうとう山口中学三年で退学 京都中学に転じたという。
三十才で 夭折。
「先生の教えを よく守る品行方正な文部省優等生で模範生であった」という模範的な少年期の伝記を捏造して ちっとも面白みのない教育の模範に祭りあげるのが 世間の俗物性だが 天才詩人の少年時代ばかりはそうはゆかない。いわば常識やぶりの奇行やヒンシュクを買うエピソードが無数にあるのが 天才詩人の天才たるゆえんだからだ。
「理由なき反抗」をくりかえし ついに山口中学を退学した中也を もてあました文部省行政の有名校や当時の厳格な家庭を責める理由は むろんない。
中也の兄弟で 山口県新聞の編集長だった中原思郎さんも まだ山高生の筆者をつれて「社会勉強だ」といって 湯田の場末の裸の女体がおどる妖やしげな舞台の芝居小屋によくつれ出してくれた。「学校にばれたら 退学になりかねない」といっても まるで無頓着だった
「どうやって 詩を書くのですか」
という少年の質問に
「ま夜中に 屋敷の天井から つぶやきがきこえる。それを文章にするのだ」といって まだあどけない高校少年の筆者を 感嘆させる。
幻聴ということもあるから 本当にま夜中に 天井からつぶやきがきこえていたのかも知れない。感嘆する少年の顔をみて からかって娯しんでいたのかも 知れない。がとにかく「天井からよくつぶやきが聞こえるのだ」と教えてくれた。
だから この叔母と少年時代を共にすごした中原中也には 特別の思いいれがある。
後に 叔母美佐子は 長門市近松懇話会から 美祢に車で帰る近松長州説研究の筆者を 三隅町沢江の村田清風記念館のそばの 嫁ぎ先の森沢酒造の自宅に招いては ロココ風の家具のアンティークな応接間で コーヒーを御馳走、終生
近松研究の筆者を陰で支援しながら「中也劇」が、ルネッサ長門の舞台で演じられる日も 心待ちにしつつ、数年前 九十才をかなりすぎて 忽然と世を去った。夫の墓参にいったら 墓の前でつまづいて倒れてしまった。「雄治が墓の下で呼んでいるのよ」と 淡々と微笑んでいた。
ピアノを弾くのが好きで 尋ねてゆくと ショパンの「雨だれ」をよく弾いてくれた。叔母の想い出のなかにいる中也の心象は 鬱屈させられた自由を、激しいビアノ曲「雨だれ」の作曲に託した若き日のショパンに似た心象イメージであったのかも知れない。
「せめて 中也の時が ルネッサ長門の舞台で演じられる日まで あと数年 生きていてほしかった」と思うのは、この元三隅町長の森沢酒造とともに生きた三隅町沢江の人々の 共通の思いだろう。
「中也が まだ生きていれば もう九十代になるんだよネ」
「そうよ。叔母さんが 彼の二つ年下だったからネ・・・・」
と よく語りあったものだ。
この中也イベントに 故美佐子叔母は 元三隅町長の夫 故森沢雄二さんとともに快心の笑みを浮かべて 千の風になって さざ波の押し寄せる長門海岸を みているだろう。(合掌)
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帰 郷 中原中也
山では枯木も息を吐く。
ああ 今日は好い天気だ。
路傍の草影が
あどけない愁みをする。
これが私の故里だ。
さやかに風も吹いている。
心置きなく泣かれよ と。
年増女の低い声もする。
ああ おまへは なにをしてきたのだと・・・・・・
吹きくる風が 私に言う。
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よごれちまった 悲しみに
中原中也
汚れちまった悲しみに
今日も 小雪の降りかかる
汚れちまった悲しみに
今日も 風さえ吹きすぎる
汚れちまった悲しみは
たとえば 狐の皮衣
汚れちまった悲しみは
小雪のかかって ちじこまる
汚れちまった悲しみは
なにのぞむなく ねがうなく
汚れちまった悲しみは
倦怠のうちに 死を夢む
汚れちまった悲しみに
いたいたしくも 怖気づき
汚れちまった悲しみに
なすところもなく 日はくれる
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性感染病に 肉体の門が侵され、絶望のうちに 自らの生を断った金子みすずもそうだったが、挫折の深い悲しみを 胸底に秘めて生きている人は 世に少なくない。 |
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「・・・・汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる・・・」。
これはそのまま もはや心身ともに傷つき果てたみすずの 胸底からの哀しみでもあった
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十ニ月の長門の夜の 星が空に凍てついた道路
長門名物のヤキトリ屋のノレンのむこうに 粉雪が静かに降り積もるとき
だれも ふとつぶやいてしまう 中也の詩(うた)だ。
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2007年11月7日 |
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美祢市在住 宮原 英一(前長門市近松懇話会学識経験者委員)
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