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| はら やすこ |
1932年 東京都うまれ。
67年から和紙人形の創作をはじめ、83年。東京渋谷の東急百貨店本店。90年。「国祭花と緑の博覧会オープニング」など、個展多数。
91年。西田尭舞踊団「土佐源氏」舞台美術担当。
95年。スイス国際映画美術祭に、フジテレビ・ハイビジョン製作。「原康子近松心中人形ー愛と死のある形ー」を出品。
98年。全国手漉き和紙連合から表彰。
朝日カルチャーセンター講師、全日本紙人形協会副会長。
著書「恋里」「人形」東映企画による個展、原康子創作紙人形展「近松心中物語」それは愛」」全国展開中「アサヒグラフ1998 2-6より」 |
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原さんは遊女の人形を多く創作してきた。はだけた襟からは華奢な肩と乳房が、乱れた裾からはなまめかしい白い脚がのぞき はかなげで妖艶な風情がただ゛よう。しかしまた運命にたちむかう女たちの凛としたいきざきもつたわってくる。「戦争が悪化して 東京から母の郷里山口に疎開。大叔母の家が置屋で そこでみた芸妓たちの、よごとのこころに沁みいってきて、涙が ほおを流れていた・・・」
やがて山口から帰京。人形創作のかたわら、酒亭を開店。原さんのユニークで気さくなキャラクターが評判になり、青年座の中台詳浩さん、西田敏行さん 文学座の高原駿雄さんや故太地喜和子さんなど 演劇人が多く出入りした。
原さんは女学校で 演劇部にはいり、以来四十数年、いまも演劇が好きで 新劇仲間が多い |
| アサヒグラフ1998 2-6より |
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長門市では或る和紙人形作家制作の和紙人形が買いとられた。
「いかに近松の街とはいえ、まだ福祉施設も十分ではない長門市に 高額な紙人形を購入するなど、税金の無駄づかいだ」という 有権者の反感が圧倒的で、おおかたの予想をうらぎり「近松の街づくり」の功績を背景にした現職市長が、続けざまに二回とも 市長選で落選。政界から姿を消した。長門市は県下で最も高齢化が進んでいる市である。それが市費であれ 県費であれ、「まだ高齢者福祉施策ですら十分ではないのに、和紙人形などに庶民が目をむくような高額の税金を注ぎこむとは・・・」というのが福祉優先の長門市の有権者の声だった。
原康子さんの創作「近松人形」は、さすがに、全日本紙人形協会副会長としての創作だけあって、ゲイジュツなど わからないわれら庶民でも、こうして見ただけで、陽のあたらない階層への近松の暖かい人間観や優しい人情が、観るものの心にしみじみとつたわってくる、近松門左衛門よりも近松的な、近松の本質をつかんだ作品だ。
しかし、誰が見ても「近松とは何か」が和紙人形から直感的にわかるような、このすぐれた近松表現の腕のすごさに比して、制作費は 庶民的で庶民が目をむくような制作費ではない。青年座の中台詳浩さん、西田敏行さん 文学座の高原駿雄さんらとともに、あくまで庶民の一人として、哀歓のただ中で成長した全日本紙人形協会副会長 原さんの特徴だ。
芸術は本来、民衆の中からうまれた。「民衆の中からうまれたものは 民衆に返す」というのが 原さんの創作倫理なのかもしれない。
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学生時代 演劇部だったHP作家 宮原の 学生時代の先輩 |
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発行 石英文庫 |
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