![]() |
| 文化庁の公式文書による |
||
| 近松ゆかりの故郷づくり指定にいたる経過と作者の略歴 | ||
![]() |
||
| 著者 2004年9 月29 日撮影・大阪読売TV放送 | ||
| 宮原 英一 みやはら えいいち (作家 歴史研究員)ペンネーム北村 晶 |
||
|
||
| ◎ 1935年1月16日 O型 山羊座 最後に笑うもの ◎ 山口県美祢郡美東町赤郷 宮原酒造(銘酒「美祢鶴」「宮乃露」)の 次男として産まれる(長男死亡) まったく偶然の一致で 維新革命の最初の衝突 高杉晋作ひきいる奇兵隊がいまの美東町、太田絵堂の戦さのはじまった一月十六日の、ちょうど七十年目の同じ夜 宮原酒造に誕生 |
日本劇作家協会(本部東京 設立井上ひさし 筒井康隆氏ら)所属 歴史研究会(本部東京神田)所属、 山口県地方史学会 文芸山口ほか 長門市近松みすず街づくり懇話会 学識者委員 美祢市生涯教育推進企画委員。 ほか役職。 山口高等学校美祢郡市同窓会・美祢市鴻峯会を創立(会員343名.会長中元克巳医師)幹事長。 |
|||
| 郵政省金融部門につとめるかたわら、日本社会党美祢市総支部長(解散)や美祢市労働者福祉協議会会長。美祢地区労連議長を経て 全逓信労働組合山口県本部業務対策部執行委員。 連合への発展的継承をめざして 山口県労働組合総評議会解散準備大会の大会議長として登壇。 正しい歴史的評価は 一世紀後にゆだね、総評労働運動の栄光と伝統とともにあゆんだ歴史を閉じる。 連合山口美祢地協顧問として引退。 ほかに日本キリスト教団美祢基督教会筆頭理事、美祢市青少年補導委員、保護司、市民合唱団指揮者(二十数年)として 市の文化を高める会を創立、 同副会長十一期。美祢市青少年健全育成会議を創立 副議長 美祢市子連三役 大嶺町子連会長八年 小中高各PTA三役などを歴任 美祢市総合都市計画審議会委員 美祢市公害対策審議会委員 美祢市三役報酬審議会委員 中央公民館運営審議会委員 ほか 美祢市商工会商業調整協議会委員などを歴任 病いを得て退職。 青年期より 詩人として 謄写版による不定期刊個人詩誌「にんげんのみね」主宰 角川短歌人賞候補の檜隈幸子と 短歌と詩誌「わら人形」を創刊 主幹 総合文芸「みね文芸」事務局ほか 「文芸山口」会員 関西文学同人などとして 日曜二千字エッセイ「秋吉台造山運動」を山口新聞に四十回連載 短編集「現代の民話」ほか 草分けの山口高等学校文芸部「無蓋車」以来の「もう一人の本来の自分」に立ちかえり 歴史研究の作家として 本来の念願であった詩による小説を志した中勘助をつぐことに専念 関西文学同人 朝日カルチャーセンター下関 創立二十五周年記念事業「防長人作家近松門左衛門講座」の講師 二年 県教育委員会主催 県民大學成人講座講師 毎日ペンクラブ山口顧問 などを歴任 |
|||
|
時代閉塞の現状
第二の世界宗教 産業 文化革命の維新 転形期
近松史料の発掘と検証にかんする主な経過
|
|||||||||||||||||||||
| ☆ | |||||||||||||||||||||
| それはたった十五部の「迷路のノート」による叛乱からはじまった。 | |||||||||||||||||||||
|
19991年7月 |
|||||||||||||||||||||
| 1991 年7月5日 近松長州説研究「迷路のノート」第一号 |
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
| 1993年 5月 山口県地方史学会大会において 最初の衝突 「近松門左衛門長州生誕説」を研究発表 ショッキンクなニュースに テレビ新聞各紙が大きく報道 |
|||||||||||||||||||||
| 1992年,10月1 近松研究の第一人者 早稲田大学坪内逍遙記念演劇博物館長鳥越博士が「全国に数ヶ所ある近松出生地のなかで"軍配をあげるならば長門だ"」(1992年11月6日 地元紙長門時事報道)と 長門市で講演 |
|||||||||||||||||||||
| 1993年 県紙山口新聞に 書き下ろし四百三十枚 近松出生秘話 「北浦乱菊物語」を連載 執筆 |
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||
| 新人物往来社の「歴史読本」八月号に「定説をくつがえす長州生誕説・近松門左衛門出生地の謎」を発表 歴史研究会(本部 東京神田神保町)に参加 以後 歴史作家とされる
|
|||||||||||||||||||||
| 1993年7月 「歴史読本」により近松維新 日本全土に拡大。 硬軟とりどりの市外電話が、鳴りつづけ、世情にわかに騒然.天動説一色の世に 地動説をとなえたガリレオ.ガリレイの孤立無援の心境なり これが異説の自由を認めない社会主義ソ連なら たちまち中央決定に逆らったとして 即時、シベリア収容所の重労働送りだ。. されど当方は 県立山口図書館の江戸時代の膨大な国書類から抜粋した「近松門左衛門は長州の人なり」とする近松が活躍した江戸時代の古文書をよりどころにしているので、「文句があるなら 近松門左衛門は越前なりとする江戸時代の古文書を出して見よ」として 雑音には耳は貸さず 馬耳東風。 「大望を抱く者に 毀誉褒貶はつきもの也(山高大先輩の岸信介氏の座右銘)」あり ゴーイングマイウエイ |
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
| ☆ 1993年12月1日 藤田長門市長さん 中村課長同道で来訪 長門市に「近松イン長門」を開催するための、近松懇話会が発足。長門市より同懇話会委員に委嘱 近松の法要をした尼崎市広済寺(椙杜家記録)が いちはやく、山口県地方史学会大会での近松長州説論文を 広済寺のホームページで 放映放開始 現在放映中 |
|||||||||||||||||||||
| ☆1994年 5月10日 単行本にて、関西書院から「近松門左衛門の謎」を発行 早稲田大学坪内逍遙記念演劇博物館長鳥越文蔵博士が「わたしが長門説の最右翼である。学問の世界では、疑わしきは採らずとしている。」と激励の序文。 当時の長門市は 郷土の高校教員出身の力士登場で湧いて居た。 それより数年前から「近松研究ノート」を、毎号送っていた近松研究では 西欧で「世界のトリゴエ」といわれる国際的権威の、早稲田大学坪内逍遙記念演劇博物館長の鳥越文蔵博士 当時体重八十キロ 身長一メートル七十センチ余の巨漢の著者を 近松学界の東西相撲の土俵で、ガップリ四つにとりくんだ郷土出身の西の横綱にたとえてとして紹介 |
|||||||||||||||||||||
| ☆☆☆☆☆ | |||||||||||||||||||||
| 湯本大谷山荘で 初回の長門市近松懇話会が発足 | |||||||||||||||||||||
| 鳥越文蔵博士話会座長報告を承認 | |||||||||||||||||||||
| 鳥越文蔵博士 長門市近松懇話会座長より「歴史読本で 近松生誕地の定説をくつがえした宮原説」が 全国通津浦浦の書店でうられた。 鳥越文蔵博士としては 「宮原長州説に反論できる史料が もしあれば 提出して 近松学の発展をしてほしい」と 福井県や鯖江市に よびかけたが「明治に創作された杉森の系図のカラクリが 歴史読本によって 全国にバクロされた以上 福井としては 反論できる史料は 何一つないという回答であった」という長門市近松懇話会での公式の鳥越文蔵博士座長報告を 満場一致で採択して 「近松イン長門フエッステイバル」の企画を答申した。 それ以後 いまにわたるも 反論できる福井説史料の発見はない。 よって 筆者としては 昨年も今年も 貫く棒のことし(虚子)である。 |
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
| 1993,年3月 県教育委員会主催 県立図書館において 県民大学の講師 |
|||||||||||||||||||||
| 1997年3月 KRY山口放送発行観光誌「YAMAGUCHIを旅する」に「竜宮城の乙女たち」「響き灘に近松を尋ねて」の二編を執筆 ![]() |
|||||||||||||||||||||
| 1996年11月 財団法人西日本文化協会の機関誌「西日本文化」に「毛利藩出身天下の浪人作家近松門左衛門の生涯と全容」を執筆 |
|||||||||||||||||||||
| 1997年6月 KRYラジオ山口放送で 四十分構成「響き灘恨みの近松」を執筆 関西書院破産。同人として所属していた第一次「関西文学」も解散 |
|||||||||||||||||||||
| 997年6月1997年より二年間
朝日カルチャーセンター開設二十五周年記念事業特別講座「長州生誕近松講座」の講師
|
|||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
| 劇作家協会(当時井上ひさし代表)の旗あげに参加 以来 会員 | |||||||||||||||||||||
| 1999年8月 山口高等学校同窓会記念誌「熱球」に「防長生まれの世界的文豪近松門左衛門」を発表 | |||||||||||||||||||||
| 1999年6 月17日 インターネット購入 ホームページによる「西洋史とは異なる本来の日本の歴史と本来の近松の祝祭空間」を企画. マニュアル片手に、インタネットの独学を開始 . 難解な専門用語に 何回も「もう やめようか」と七転八倒 |
|||||||||||||||||||||
| 同年9月15日 (シニアデイ) ホームページ開設に成功 近松研究を通じての 日本研究熱のさかんな 欧米諸国の百数十の各大学のインタネットに発信 スタート |
|||||||||||||||||||||
| 「ホームページをみたから」と海の彼方オーストラリアの研究者が 海を渡って わが家にたずねてこられるにおよび 近松文学の世界性と 地球規模のインタネットの広がりに いまさらのように驚愕した |
|||||||||||||||||||||
| 1999年12月 航空会社日本エアシステムの旅客機内雑誌「アルカス」12月号に「純愛とエロス文学にひそむ反骨精神・東洋のシェクスピア近松門は隠れキリシタン?」(この「長州生誕近松文学研究講座ホームページ記号番号URL」を記載) 年末年始の帰省ラッシュに焦点をあわせ 十ニ月一日から いっせいに同航空路線の乗客席の 欧米人をふくむ学識者や有名無名人の不特定多数の全乗客に 一ヶ月間 一人一冊づつ配布 |
|||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||
| 旅客機日本エアバスの航空機内配付よみもの「ARCAS」12月号に寄稿 |
|||||||||||||||||||||
| もはや 燎原の火のごとく、欧米を含む世界中の「インターネツト新世紀」に「リンクはご本人の自由」の勝手連方式でひろがりつづけ とどまるを知らず | |||||||||||||||||||||
| ☆ | |||||||||||||||||||||
| ☆1999年12月25日 直木賞作家古川薫氏等らによる編纂 火野葦平創設の全国誌「燭台」復刊ニ号に「近松史疑(一)」を掲載 新日本教育図書株式会社により 東京から全国書店に発売 |
|||||||||||||||||||||
| 深夜 腸閉塞にて意識混濁 救急車にて 美祢市立病院に入院 |
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
| 000年3月27日 腸のポリープを数ヶ除去 残り多数のポリープは 半年あとに切除の予定 術後の経過順調( 美祢市立病院 竹尾内科部長談) |
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
| 「単独登頂 ただ無心」 | |||||||||||||||||||||
| 人に教えるどころか こうして 日々書きのこしし通信や 公開の雑文により 後継者のうまるるを祈るのみ 完成なき されど息をひきとるまで 完成をめざす 生涯学習の あらたな文学登山の道なり |
|||||||||||||||||||||
| ほか 近松発掘にまつわるエッセイ多数 各地の市民大学講座で 講演、テレビ 新聞に登場多数 |
|||||||||||||||||||||
| あたかも 労働運動半生を後悔していると筆者がいった「かのごとく」書いたスポーツ紙もありましたが ウソ。 世界の評論家佐高信は 月刊「世界」で われわれサラリーマン 会社ニンゲンを 家畜に比して「社畜」と呼びます・ 日々の仕事が ライフサイクル金融プランコンサルタント ライフサイクル ユング心理学講座できたえた 中高年の病いを「創造の病い」とする最新心理学 クリスチャンユングの 解放された自由な 後半人生に豊穣の比重を置く人生八十年時代 いずれは、カイシャニンゲンでも クミアイニンゲンでもなくなる そのあとの、長い第二の人生の日々 「去るものは日々に疎し」で ヌレ落ち葉ですぎてゆくなら 自殺くらいしか、思いつくことのない灰色人生になります。 アメリカサラリーマンの四つの夢は カイシャニンゲンがおわる定年退職後の 自由な後半人生に おとづれる人生の黄金期にそなえ、人生前半は 子育てをしつつ 「黄金期の後半人生」の基盤づくり ビッグビジネス社会で モリモリ働き 一 マイ年金 二 マイホーム 三 マイカー 四 マイ農場 を確保すること だれも人生は 平均八十万時間 いつ果てるか保証のない 一回かぎりの ほかにはかけがえのない自分の人生という点で 医師も牧師もローマ法王も無名の民も 神の前の有限な人生としての条件は 平等 どんな人も この広い宇宙に、唯一無二の ほかにかけがえのない それもいつの瞬間おわるかもしれない自分の人生は、たった一回しかない以上 どういきようと 自分の選択と決断の自由 「自分の人生の主人は自分」です わかものに人気のエンデにいわせると 飽きあきするようなヘタクソな説教をする牧師など 「一度しかない他人の人生の、帰らぬ貴重な刻々を盗む時間泥棒」とする時代 一応 自分としては 作家として、後半人生を生涯現役で生きるために 「自分個人の人生計画」どおりに その基盤を築いておく前半人生を 着実に推進してきただけのこと
|
|||||||||||||||||||||
| 趣味 音楽(好きな曲 夜ひとりで聴くメンデルスゾーンのバイオリンコンチェルトほか、バイオリンソロ カラオケで唄うのが好きな歌謡曲「白い花の咲く頃」「出船」ほか) 油絵を描くこと。 すさぶ世の嵐のなかの 青春の六O年安保共闘世代。 |
|||||||||||||||||||||
|
「男は強くなくては生きてゆけない。でもやさしくなくては生きてゆく資格がないワ」・
|
|||||||||||||||||||||
近松検証とその文章化 文学の道は「結果として」それから十数年以上つづいています |
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||
|
&&&&&&&&&&&&& クリックして下さい |
|||||||||||||||||||||