| 近松の当たり狂言 国姓爺合戦のナゾとき |
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| 一名倭寇ともよばれ 唐津近松寺の近松のいた唐津では その軍団の本部を 唐津松浦党とよばれたこの軍勢の幹部に キリシタン禁止下にのがれた日本に最初のキリスト教をもたらしたザビエルを 日本に案内したキリシタン幹部ヤジロウがいます。 日本で最初に日本語訳聖書をつくるという困難な責務をはたしたこのインテリゲンチャ・ヤジロウを代表とする人々が軍勢にいたという事実 鄭成功の母方 田川家のあった平戸にある 唐津松浦党の幹部の墓紋は すべてキリスト教の十字架てあるという事実 明史によると 中国大陸で奮戦した日本武士は 紀伊 和泉 伊予 岩見 長門 博多 薩摩 日向 肥前 肥後方面の武士出身が おおいという事実 その多くは すてにほろびたが、かっては 山口に教会を設置し ザビエルの布教をささえた長州大内氏 豊後キリシタン大名大友氏の統括下にあり 大内氏 大友氏の崩壊のあとは キリシタン禁止下にあって 反権力の砦を護る海賊として 瀬戸内海 九州沿岸に 群雄割拠していた武士たちであるという事実 キリシタン禁止 島原の決起で 三万数千人ほか かなりは減ったとはいえ 八百万人そこそこの当時の日本人口の十人に一人に近い なんと六十万人に達していたといわれる 日本全国各地に潜伏していたキリシタンたち。 近松の生まれた防長山口県には 鄭家の家紋が 家紋史にのこっていますが キリシタン、ヤジロウらを幹部とする二十万人といわれる 民族解放の英雄 鄭成功の国際義勇軍への ヤジロウらを先頭にした これら「海賊」と、いまに伝えられる 反権力のヒーローキリシタン残党の総参加の実体は まだ検証されていません。 日本にキリスト教をみちびいた功労者、反権力の軍勢力のヒーローヤジロウは 海をこえた国際的な活躍をした後 インドのゴヤで日本人学校で働きその生を終えています。 しかし倭寇を蛇蝎のようにきらう権力にそった歴史家の史書には いまも「ヤジロウは最後は盗賊の群れにはいってその生をおえた」と極悪人として生をおえたとされています。 東洋の文豪として西欧にも親しまれている近松は どの政府人からも 蛇蝎のようにきらわれた鄭成功を 虐げられたひとたちの解放につくした 永遠のヒーローとしてえがきました それは近松のよって立つ立場が 当時のどの政府人からも 蛇蝎のようにきらわれる側にあったことを わたしたちに示しています そして どこの政府人からも 蛇蝎のようにきらわれた男を 反対に虐げられたひとたちの解放につくした永遠の国際的ヒーローとする近松のえがいた 日中混血児 鄭成功は なんと 史上空前のロングランになるほど 当時の民衆に共感されたうえに いまは台湾 大陸中国 日本共通の永遠のヒーローです 一方では 反体制の鄭成功をヒーローとして描き 一方では性をおぞましきものとしてではなく 逆にこよなく美しきものととらえ これもまた反体制の 純愛の男女の美的芸術昇華をおこない エロスの極致美の世界をつくりあげた純愛の劇詩人 近松門左衛門が カトリック作家の田中澄江をして「宗教聖職者を超えた宗教家である」と 感嘆せしめるゆえんです |
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| カトリックの習慣では それまでの生き方を悔い改めて 新しく主に仕えるとしたときに あらためて洗礼名を与えます。 作家近松は それまで敵対してきた和藤内に降伏し 悔い改めて あたらしく 和藤内を 「主として仕える」としたものを許し 和藤内をして サントメ・八郎 ホルナン・五郎など あらためて別の聞き慣れない洗礼名を 新しい家来として これらにあたえています。 日本演劇史空前の 超満員 三年数ヶ月のロングランとなったこの「国姓爺合戦」 何回も当時の日本政府に援軍をもとめたが その都度 大国の鼻息をうかがう日本政府により 剣もホロロに断わられ ついに二十万人をこえる反権力の一大武装義勇軍を組織した 島原の乱ののちに彗星のごくあらわれ 彗星のごとく消え いまもなお 敗北した被圧迫民の解放に 一生をささげたとされる 日中混血の国際的な 永遠の反権力の不屈の英雄 鄭成功の姿 密告されれば 捕らえられ サカサはりつけ 火あぶり刑であったキリシタン禁制下の きびしい監視下にあって なお 近松が随所に散りばめたこうしたものがたりを通じて 三年数ヶ月のロングランをささえた民衆は「なにを」「どのように」うけとったのでしょうか そして 現代に生きるわたしたちは いまだ潜在したままの日本の歴史の語られざる深層から そして日本人のたましいの根底に潜在している語られざる深層から 呼びかけてくる あえてそれを舞台に描いた東洋のシェクスピア 炎の文豪近松の生きざまから いま「なにを」「どのように」 永遠のメッセージとして 受け取るべきでしょうか |
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