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史料提供・二松舎大学国文科教授 竹野静雄氏
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| 杉敏介述「本邦文学史講義」下 江戸文学 | ||
| (弘文館 明治三十三年八月十日刊) | ||
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近松門左衛門はもと長州の人。後に肥前の唐津にも住し、一時は僧侶ともなりしが、後 還俗して、京に出でて一条家につかえ、後にこれを辞して、専ら竹本座のために、浄瑠璃を草する文人とはなりぬ。その作はすべて人情の秘極を訴へ、人の思想 感情を支配する力は、鬼神のごとく、泣かしむるも笑はしむるも、怒らしむるも自由自在たり。 その所作 いと多きもこれを大別して、時代物、世話物の二種とす。 時代物とは すなわち歴史的事実を叙するものにして、謡曲より変化せるもの多し。すなわち「頼朝七騎落ち」「源氏烏帽子折」「出世景清」「紅葉狩剣本地」等のごとし。而うして、時代物の中 もっとも名文にして多くの人に知られたるは、鄭成功のことを叙せる「国性爺合戦」、曾我十郎、五郎のことを叙せる「曽我会稽山」等あり。 されど近松の本色は、少壮時代に成りし時代物にはあらずして、五十一才の時より、臨死におよぶ迄、筆を染めし、世話物にこそあれ、 世話物の中にて、遍く人に知られたるは「曾根崎心中」「女殺油地獄」「心中重井筒」「心中天の網島」等なり。この頃よりして、男女の心中といふこと、専ら流行するに至りては、近松の作の感化に由るもの多しといふ。されど近松は、決して人情本作家のごとく、唯、淫猥を主としたるにあらず、かならず義理と人情の衝突を叙し、いかなる遊女、賎婦もしくは丁稚 小僧にいたるまでも、主人に忠、親に孝、世間への義理といふ事は、かならず守るやうに仕組めり。そを人情のために守ること能はざるにおよんで、悲哀、断腸。見るものをして、涙、襟を潤ほすことを禁ぜざらしむ。其の戯曲の泰斗セーキスピアは、実に八面玲瓏の常識に富めるものなりしが、近松、酷だこれに似たりとて、日本の沙翁と称せらるるも 豈亦偶然ならむや。これに次ぐは竹田出雲なり、竹田出雲はもと阿波の人、大坂に出でて、竹本座のために脚本の筆を執りぬ。本名清定。竹本座主竹田出雲椽、初代清一の子なり、享保年中はその盛りなる時代たりき。いまに至るまで、有名なるものは「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」および三好松洛、並木千柳と合作せし「仮名手本忠臣蔵」等なり。出雲は初め、門左衛門の添削を乞ひしもの、その独立して、脚本を草するにおよびても、その文藻の富裕なるは、到底およぶべくもあらねど、舞台にのぼせたる上にては、門左衛門のものより出雲の作の方、見栄えあり。、変化出没の妙威、嗔いふべからざるものありといふ。 |
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(長崎市立山 長崎県立長崎図書館蔵)
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