長門市光浄寺所蔵 近松史料
永久保存近松史料 帝国暦日歴史大鑑
(発行・東京国民書房・大正四年四月)
十一月二十二日 近松門左衛門逝く
享保九年十月二十二日


 近松門左衛門は長州萩の人にて 有名なる浄瑠璃作者なり。本姓は杉森、名前は信盛、幼名を彦四郎と呼ぶ。
号は平安堂とも 巣林子とも 不移山人とも称す。門左衛門の祖先は 代々毛利家に仕へたるが 門左衛門は 幼くして肥前唐津の近松寺に至り、頭髪を剃りて、僧となり 古澗と号す。博覧多通にして 才識群をぬきたり。近松禅寺の住職は これを某寺の住職となさんとせしが、門左衛門思えらく、一寺の僧は ただの凡俗と異なるところなし、衆生を救はんと欲つすれば、すべからく僧侶以上に出ざるをべからずと。ここにおいてか、恩師のすすめを辞し、翻然悟って、京師にのぼり、その実 岡本一抱によりて、髪を蓄えて、一条家に仕えることとなりたり。一条家にて重く用いられ、従六位に叙せられて、博く朝典を渉り古学を修む。
 しばらくして 同家を去り、市内に寓居して、姓を改めて、近松門左衛門と称し、伝奇小説を著はして業となす。のち歌舞伎座万太夫、加賀太夫、井上播磨らののために、浄瑠璃を創り、元禄四年、浪華に赴きて、竹本越後椽のために、浄瑠璃を著わしたるが 非常の評判となり、つづいて数十種の著作におよぶ、その文章の巧緻なる、実に人をして こころを動かしむ。かくて近松の浄瑠璃は 実に一世を風靡したるが、その著わすところのものは、近松の博覧強記の学識と艶麗なる文材とにより、あるいは人情の機微をうがちて、神道を論せる 神世の振り袖のごとき、または 遊女劇に事寄せて、仏理を説ける釈迦如来降誕会あり、男女の恋愛と心中を説ける曽根崎の心中あり、または 巷談に付会して、義勇を鼓舞せる槍権三重帷子あり。外事に借りて 国体を論ぜる国姓爺合戦等あり、享保五年十一月二十二日七十七才をもって浪華に没す
 山口県長門市 光浄寺所蔵古文書
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