高浜虚子、水原秋桜子 加藤楸邨、山本健吉派として
歳時記に観る近松門左衛門の生誕地
 三省堂・講談社の「歳時記」より
 近松門左衛門は本名は杉森信盛、不移山人・巣林子等と号した。
 
長門に生まれて 京都にのぼり 大阪で亡くなった。
昨年(こぞ)今年貫く棒のごとしなり  虚子
三省堂「歳時記」の近松忌
「近松は長門にうまれ、大阪にて没」高浜虚子
近松忌百目蝋燭灯しけり
網島の暗き通りや近松忌
昭和
県立山口図書館蔵
☆☆☆☆☆☆☆☆ 研究者宮原コメント ☆☆☆☆☆☆☆☆
この当時は長門というのは 長門の国という意味
 市町村合併により 新しく長門市という名の市が誕生したのは、昭和三十年代初頭です。
 したがって、この昭和十五年発行当時の 三省堂の歳時記でいう「長門」とは、市町村合併以前ですから 現長門市はまだ深川 仙崎 湯本などとよばれていたころで、ここでいう長門とは 山口県が 俗に「防長二州 (周防と長門)」と呼ばれていたころの 
長州のこと
 従って誤解を避けるため、私はあえて
「近松長州説」としています。
 しかし 唐津近松寺には
「近松門左衛門は長門深川の人なり」という旧い石碑の拓本が 史料として現存、保管されていますから「直接の生誕地」は別にしても 「近松が 現在の長門市である長門深川ゆかりの人である」ことは、もはや誰も この史料としての拓本を、江戸時代にさかのぼって抹消することはできないという意味では 永遠の近松関係史料の一つです。  
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講談社版 カラー図説「日本大歳時記」座右版
昭和五十八年十一月に初版発行
「近松は長門にうまれ、大阪にて没」
水原 秋桜子、加藤 楸邨、山本 健吉
 今日もまた心中ありて近松忌・虚子
有史以来最高の一人心中・自殺者が三万人の現代
県立山口図書館蔵
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