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(一) 当時は「防長二州」といい、防府と長府に 防長それぞれの府都があった。長府を府都とする下関には 朝鮮特使などを接待する日本最大の劇場 大阪屋劇場があった。
「萩藩領でうまれた近松は そこで成人した」とある。
大阪屋劇場は 下関の法華宗本行寺の境内にあった。
「近松は法華経普門品に・・云々と説いた」とあるのは、近松が 劇作家として修行、 成人していった大阪屋劇場が 「法華宗」本行寺境内にあった関係と 推定される |
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(二) 尼崎市広済寺には 近松の末裔で 毛利藩の御典医だったという芸州の人が 寄贈した近松の養生訓があるが、{芸州沼田郡府中村の近松家にあった近松の筆による養生訓である」ともいえる |
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(三) 日本図書館協会選定図書に指定された私著で指摘したが 国史人名辞典をみると 岡本一抱がうまれたのは 近松よりも三十三年後だ。したがって 近松が岡本一抱の家に上京して髪をたくわたというたぐいの話はすべてツクリバナシである。しかし岡本一抱が有名作家近松翁の舎弟であったというのなら 近松より三十三才下の舎弟岡本一抱がいたとしても 奇異なことではない。 |