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ちかまつの現場へのご招待
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村田峯雨の郷土の偉勲講座 明治四十二年 東京神田の東京医科専門学校の教養課程の講座から 幕政下三百年に培われた隠忍自重、防長県民気質 寛容と忍耐 一世紀の沈黙 傷つけられた防長人の名誉 |
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杉森平兵衛
寛文拾(1670) 国司隼人宅 天和元(1681) 椙杜八郎宅 |
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| 星子 | ☆ | ||||||
| 萩市資料館提供 椙杜家の邸宅がある萩城下町絵図 | |||||||
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| 「伝承だ」のいわれると 神経をさかなでされるような気がする防長人 これは作者の氏神といわれる近松生存の時代 約二百五十年前の 周東町の椙杜郷と氏神椙杜八幡の地図 山口県古文書館発行「絵地図でみる防長の町と村」椙杜村より |
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| 付 記 | |||||||
| 蓮花山ノ城主椙杜下野守ト云り 弘治元年十月下旬 元就公芸州厳島ニヲイテ大内義隆ノ家臣陶尾張守ヲ御退治アリ 規則同年 十一月 中旬 芸州小方ノ津ニ御陣ヲ被移又 防州山口ヘ御都取カカリノ御評定有之然処ニ蓮花山ノ城主椙杜下野守ヨリ使者ヲ以テ 今度山口ニ御発向ニヲイテハ 自今以後オ味方ニまかり成り 御先手ヲツカマツルベク 御馳走ノ段 起請文ヲモツテ人ジチヲサシダシ元就公御父子被聞召付 御納得ノ上 証人ノ者 被留置 下野守モ為御礼まかり出 御対面アリシト云エリ コノ時防州山口ニハ 大江義長居城 | |||||||
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| 大内氏実録 | |||||||
| 一本松城落城のおり わんが子亀王丸を抱いて逃げ 民家にひそみ 亀王丸を育てし大内の女性あり その功績をたたえて 法名を「栄誉信盛」という | |||||||
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| 近松門左衛門は 幼名を杉森平馬といい 長じて姓名藤原 名を「信盛」と名のる | |||||||
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| 宮原踏査メモ | |||||||
| 法名を「栄誉信盛」という位牌をまつりし 大内系の寺をさがすも いまだ位牌 ついに見あたらず。大内家にはザビエルらにより キリシタンに帰依した高貴の人多し。或いは 異教に帰依せる女性なりせば 大友宗麟の娘マジェンシャが 異教の女性なりせば 大友家系図から抹消されているごとく 栄誉信盛の位牌を もとめて 佛教系の寺を探索するは あるいは徒労におわることもあるなり 大内の最後の末裔が マラを切り取られて落命せる俵山マラ観音に 首ははねられて 顔はさだかならぬが 十字架を抱いた高貴の女性像あり まだ五才にならぬ大内の末裔の王子をつれて 俵山の民家に逃げのびしを 捕らえられて 首をはねられし 女性なりしか もぎとられた王子のマラをかたちどる無数の大小 奉納マラ像 母をしたうごとく その女性像をかこみて 林立する 風景 静寂の湯の町にありて 近松ならずとも ただ あわれなり 落城のおり わが子亀王丸を抱いて逃げ 民家にひそみ 亀王丸を育てし 栄誉信盛という 大内の女性ありを 思い ふと まぶた熱くなるをおぼゆ なんとなれば 追跡され とらえらえられ マラを切り取られて落命せるまた゜あどけなき大内の最後の末裔を 大寧寺にて 戒名チンポの毛童子というになり チンポの先端突起 すなわち現代も亀頭部というなり 亀王丸とは首ははねられて 顔はさだかならぬ十字架を抱いた高貴の女性が 落城のおり 民家にかくれて 育てし チンポの毛童子なり それどいつひろからか 性に顔をそろけて見せる虚栄子信仰に 洗脳されし このくにの現代クリスチャン女性 ここにおとないて 教会にある偽物ならず 真の血の十字架を抱いた高貴の 首ナシ女性に 慰霊の祈りをさざげるほ 見たものなし キリスト教いまや斜運 ほろびの傾向にあるも あるいは神による ただの人間性をゆがめし 虚栄心へのさばきならずや 大内家にはザビエルらにより キリシタンに帰依した高貴の人多し されば毛利輝元の母 にげてきた神父らを すべてかくまい おおかたの君という これにあるは マレー半島を 馬来半島と文字化する日本流の文字化習慣に即して書くならば 聖母マリアすなわち 頭文字にマを頂く救いの超越者なる絶対他者 馬頭観音なり 少年近松がおりしという長門江良にあるもまた 頭文字にマを頂く 救いの超越者なる絶対他者 馬頭観音なり これ宗教という軸足から検証してゆく 近松検証の複眼の鏡の一つなり |
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| わたしたちが、自分の余暇を、もっとも上手に利用する方法は 過去の華々しい事物と親密になり、あらゆるものが、ほろびてゆくというような不幸を、熟視することである。 わたしたちが現在、経験していることは 歴史の鏡により、一層よく理解される。歴史かつたえるもの。それはわたしたち自身により、生きたものになる。 わたしたちのくらしは 過去と現在の相互の照明により 進歩する。 接近して、自分の身をもって観察しよう。 個々のものごとを 注視することによってのみ、歴史はほんとうに、わたしたちと関わりをもつようになるのだ。 わたしたちの自己確認にとっては いかなる実在しているものも、歴史ほどに重要ではない。歴史はわたしたちに 人類のもっとも広大な地平をさししめし、わたしたちの生活の基礎となっている、伝統の内容を わたしたちにもたらす。歴史は現在的なものごとへの基準を わたしたちに教える。 歴史は、いま自分が生きている時代の 無意識のさまざまな拘束から、わたしたちを解放してくれる。 そして人間を(さばくのではなく) その最高の可能性と その不滅の創造性において見ることを 歴史がわたしたちに 教えてくれるのだ。 ヤスバース「哲学十二講」☆ |
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