下関にみる近松史料
下関にあった日本最大の女優歌舞団の劇場
 
 
 大坂屋に興行あり。舞台は江戸の湯島芝居よりも広し、装束は堺町にもおとらず あいだには錦を着たるものもあり、浄瑠璃は義太夫にて 富士見西行なり 悪方 あら事 遊侠 法師 やっこらまでみな女なり

人は語らず、ただ事実が近松の存在を語る下関史料
 
史料一   
    
 常磐太夫は 近松の名作「平家女護島」に登場するヒロインである
 大坂屋跡のそばに稲荷神社がある。
 そこにはなんと 大坂屋にいたその常磐太夫が寄贈した玉垣がある

 こには井原西が参詣していたという記録があり 足しげく逗留したのか、かっては西鶴が奉納した玉垣があった。

 
2000年.10月5日のハプニング 

 KRYTVの権藤博志さんたち 腕まくりして汗だくのロケ班と その西鶴碑を探す考古物発掘過程で ナント! 草むしてウジ虫のはいまわる山積みの廃材の、汚い玉垣の表面を ひとつひとつ 手でゴシゴシこすっていると 手の下から 寅次郎の文字が現れた。吉田松蔭こと「寅次郎」の奉納した玉垣を発見の瞬間。思いがけぬ維新県の維新最大の大物の史蹟の発見という副産物であるこういう汚い仕事を避け 他人の成果だけをとり 高壇からしゃべるエライ人には 到底あじわえぬ発掘による発見の感動の瞬間の醍醐味の瞬間であった。(テレビカメラマン発見現場風景を撮影)
 (ついにゆくえ不明の 西鶴玉垣に鑑み 再度の盗難 紛失を防ぐため 
KRYテレビ放送徳山本社で「寅次郎」の奉納した玉垣を保管)
 松蔭もここの楼閣に しばしば立ち寄ったことがわかった。
 伊藤博文ほか幕末の志士が 楼閣に遊び  ここに参詣した理由がわかった


史料二  また下関観音崎には 近松が十才のとき 唐津につれてゆき たえず唐津とここを近松がゆききしたとされる義天和尚の永福寺があり 明治以前から近松の追善供養を絶やさない
史料三  また当時の下関を支配した長府藩の城下町古地図には 志道就幸こと 当時の椙杜兵庫屋敷が記載されている
史料四  下関の長崎町と長門町には 次のとおり 近松の父親とされる豊田二千石領主 椙杜主殿守広品の記録がある
赤間関町医村田周伯 村田三静事 療治出仕候段 令承知候 依之白銀五枚宛被遣候条可申渡候以上 
                  申十一月十九日
                               時 権太夫
                               
椙 主殿
                               細 宮内
 熊谷平太左衛門
 近松の描いた絵に椙と署名してあるのが 長い間 日本の そして世界の近松研究者のナゾであった。
 このとおり 細川とか椙杜とか 当時は姓名は頭文字一字しか かかなかった
 この村田は 肥前竜造寺末裔で 岡の原付近に居たので この土地が 萩本藩領になつたために 下関新地に属し 以後 新地の庄屋をつとめた。周伯 村田三静という医師もでている 
 その周伯 三静が医師として 治療に精を出しているので 白銀を五枚宛遣わされるよう 
椙主殿をふくむ三人の役人が連署した上で 熊谷平太左衛門に 申し渡したという下関市長崎町と長門町の記録である。

 
毛利元就の外孫の椙杜主殿守広品は短命 四一才でなくなり家は絶えた 。
史料五
 下関大坂屋の遊女たちと近松門左衛門
遊女名&戒名 登場する近松の作品 そのほか
  平家女護ヶ島 源氏烏帽子折 孕常磐 下関稲荷神社に奉納した玉垣あり
唐 糸 瑞カ墨田川
 整月妙長女 百合若大臣野守鏡
阿亀 清丘妙春女 卯月紅葉 亀山八幡宮にお亀稲荷あり
おさん 妙順個女 五十年忌歌念仏 大経師昔暦 心中天網島
藤 枝 日柳個女 堀川波鼓 淀鯉出世滝徳
 陸典妙安女 瑞カ墨田川
天 鼓 閑月妙有女 天 鼓
常磐太夫ばかりではない
その大坂屋遊女の過去帳の中には
 近松の作品名である
「天鼓」という遊女すらもいる
ヒロインは ゆうばえ おもだか姫ほか
常 陸 妙陸個女 当流小栗判官
お 蘭 妙継個女 薩摩歌
しのぶ 妙有個女 源義経将基経
菊 や 妙令個女 寿門松
玉 や 智滴妙嶋女 大経師昔暦

         。
    常磐太夫・大阪屋と彫ってある稲荷神社の玉垣
撮影  井手くみ子さん

  そして ここ稲荷神社には 近松より十才うえの井原西鶴が参詣したと記録されている。
 近松門左衛門と西鶴の出会いの場は 
国文学研究者のナゾであった。
 それが出世の糸口になったが 近松はこの大坂屋で 十才うえの井原西鶴と出会ったのだった 
 この日本最大の劇場を経営していた大坂屋の過去帳には たくさんの遊女の戒名のうえに なぜか 近松の死没だけが きちんと記載されている
 
星☆星   
下関遊女の社会的地位の高さをものがたる
近畿ずい一の大きさをほこる下関遊女の宝篋印塔
神戸市垂水区
 垂水の史蹟 遊女塚は 近畿ずい一の大きさをほこる宝篋印塔で 建武のころに博多の商人が尼崎の神崎の遊女のために建てたものとか。大坂の遊女が船で下関にかえる途中 この沖で溺死したので弔ってたてたものといわれ この塚をめぐると 功徳があるとむかしから信じられている・ 「民話と伝説近畿編 学研」
学研「民話と伝統」近畿篇より
「古反文のよろず」に大坂屋からの手紙をこのしている西鶴は上っ面をかすめる遊び太郎タイプ。
 下関稲荷町をおとずれて ほかの遊郭とは違い 「とくにかわるがわるの膳のあげさげや三味線の音色など゜礼儀や芸にきひしいのをみて わずわしかつた」と「好色一代男」にかきのこした。
 十才下の近松門左衛門は これ比して「
遊女にまことなしなどとは これまた野暮のいうこと」と 一笑にふしている
 そのちがいが のちに「閑戯抄」をして「遊女とて こころの底は 純情な娘 それをみぬいたは 近松門左衛門ただ一人なり」と 女ごころの
深層をつかんでいると 近松門左衛門ひとりを高く評価している
 
幕府とたたかう天皇派の文士として 柿本人麻呂と同じで 咫尺(天皇のおそば)につかえ 三塊九卿(三摂政関白家と九清華家公卿)にあり それら公卿に心底からつくす王朝文化派神崎(下関)遊女をしっていた近松との立場のちがい 
 西鶴も近松も おなじ江戸時代の文豪でありなから 近松門左衛門だけが作者の氏神 純愛の劇詩人「東洋のシェクスピア」とまで 西欧で人気を独占しているゆえんだろう。 
 建武のころ 毛利も政権公家としてつかえた鎌倉政権のほうかい。足利尊氏による六波羅探題の攻撃。楠正成の戦死。足利氏の敗走と復活。朝廷がまっぷたつにわかれて あらそった南北朝時代のはじまり。摂関政治の文化ひらがなや和歌や書道をうんだ藤原文化による庇護が あやうくなり 故郷下関にかえろうとして尼崎神崎川でしずみ、神戸の沖に遺体のあがった下間遊女の 当時の地位の高さをかたる近畿ずい一の大きさをほこる宝篋印塔
 いまも交通事故のあとに 地蔵をそこにたてるならわしにしたがい いまも受難地点 神崎川のほどりに屹立している。その遊女塚は尼崎神崎町戸の内にある。下関遊女のいた尼崎神崎町戸の内はもともとは殿内といい 維新のあと 謝礼に明治天皇が訪問したが 遊女の里は幕府支配がおよばぬゆえに 「徳川幕府とたたかう天皇派」のかくれ里であり 関ヶ原で敗北した豊臣かたの雄毛利藩の近松も 徳川幕府とたたかう天皇派の純愛の劇詩人として ここで執筆していたといういいつたえが いまも確固として 尼崎市民により伝えられている・
 これは遊女といえば たかだが 西欧人の舶来知識に依存して 西欧の売春婦か 囲いにかこまれた篭の鳥 吉原遊郭の女しか 連想できない 創造力の貧困な中央知識人を権威として 依存してきた歴史知識のおとしあなである・
 幕末に下関をおどすれたシーボルトは遊女をみて 
「知性教養ともに 第一級にして 勇者にのみ その心身をあたうる。そしてその姿は われわれ西欧の王侯の姫君ににたり」と 感嘆している・
 吉原遊郭の女とは 発祥起源と歴史と伝統のことなる下関の神崎遊女たちは、宮廷の公卿たちとつねに接して 藤原王朝文化にみがかれたその知性 教養と気品にみちた立ち居ふるまいとその美しさは 「城が傾く」 傾城の美女とされていて たかが なりあがりものの戦国大名ごときの 妻や媛たちが 遠くおよぶところではなかった。
 尼崎市中央図書館提供史料によると 大名につかえた芸人仏ご前とはちがい 「権力者のだれにもあたまもさげなかった」という、胸にキリシタン十字架をかがやかせていた出雲のお国は 徳川二代目将軍をして「なんじは われら大名よりはるか上の天下人なり」と 嘆かしめたという傾城の美女であった。
 有史以来 尼崎は防長米に依存していて 遊女をはこぶ下関発 大坂経由 四国金比羅もうでの 米を積んだ金比羅船が 往来していた。
 のちに維新まえ 下関から土佐にかえる坂本竜馬たちも 遊女たちとともに 金比羅船で 往復していた。
 そして 秀吉の朝鮮進出のときの 毛利藩における水軍の総指揮は、近松のうまれた椙杜家であり 
金比羅船を含む毛利の海船の下関の鯵責任者は この椙杜家であった。
 なお 神崎に宮廷の公卿たちが 嫁えらびにかよう ひらがな文化や和歌など藤原文化にたけた舞姫、遊女の町を創設したのは 幕府とたたかう天皇派の純愛の劇詩人 近松門左衛門の 椙杜家の祖先 
鎌倉政権で代々文章博士を務めた三善清行である。


下関ほかで採取 
市場の風景あざやかな いくつかの近松西鶴系祭文節 

☆☆☆☆☆☆提供 竹野静雄氏 (横浜)  二松舎大教授 (当時山口女子大文学部国文科教授) 
 近松寅之助編「下関盆舞踊音頭帳」集文堂
下関市 盆踊り音頭
  木材の積入港尼崎は 遊女のほか食糧を 有史以来 防長米に依存していて 交易は下関発 四国高松ゆき金比羅船である。 
 いまも下関金比羅神社に「神戸回船船主 乗組員一同」として 玉垣が保存されている
 これは当時の浪華との文化芸能 経済人交流の 大きさを示すお祭り史料 
 亀山神宮したの砂浜で 八丁浜盆おどりとして 大坂や尼ヶ崎人とともに みんなで 夜更けまで おどられた盆おどり

  
 NO 1

花のお江戸にその名も高い
本郷二丁目に八百屋というて
よろず青物渡世をなさる
店もにぎやか繁盛なくらし
折りも折りかや正月なかば
本郷二丁目はのこらず焼けて
そこで八百屋の久兵衛どのは
普請成就するその内は
檀那寺へと仮り越しなさる
八百屋お七はその名も高い
ところ駒込吉祥院と
寺領ご朱印おおきな寺よ
座敷間かずもたくさんありて
これにしばらく仮り越しなさる
八百屋娘にお七というて
年は二八で花ならツボミ
器量よいこと十人すぐれ
花にたとえて申そうならば 
立てばシャクヤクすわればボタン
歩く姿は媛百合よ
寺の小姓に吉三というて
年は十八うす前髪で
器量よいこと卵に目鼻
そこでお七がふと馴れ染めて
日頃恋しと思うておれど
人目おおけりゃ 話もできぬ
女こごろの想いのたて(ママ)を
人目しのんで話さんものと
想う折から幸せなるか
寺の和尚は檀家へゆきやる
八百屋夫婦は本郷へゆきやる
後にのこるはお七と吉三
そこでお七は吉三にむかい
これさ吉さんよく聞かしゃんせ
後の月から貴方を見初め
日々に恋しと思うて居れど
親のある身や人目をかねて
云うに云われぬ話もできず
今日が日までも云わずにいたが
わらわが心をこれ見やしゃんせ
かねて書いたる某の玉章(たまづさ)を
吉三見るよりさしうつむいて
さても嬉しいお前の心
されば私はどうなりましょか
主の心に従いましょと
ようよううちとけ契りをむすぶ
八百屋夫婦は夢にも知らぬ
もはや普請も成就すれば
もとの本郷にひっこしなさる
八百屋久兵衛日柄をえらび
店をひらいて売止(ママ)なさる
その夜近所のわかい衆たちを
客にまねいて酒盛りなさる
酒のお酌は娘のお七
愛嬌よければ皆さんたちが
われもわれもとお七をめざす
わけても目指すは窯屋の武平
男よけれど悪心者と
あたり近所の札付き者と
その夜お七に逢い初めてより
どうぞお七を女房にせんと
思う心を細かに書いて
文をしたためお七におくり
お七方より返事がこない
そこて武平はこじれにじれて
さればこれから八百屋にしのび
あの家お七に対面いたし
いやであろうがコ あるまいとても
くどきおとして女房にせんと 
想う心も恋路の欲よ
人の口に戸はたてられぬ
人の噂や世間の噂
それを聞くより八百屋の夫婦
もはやお七も成人ならぱ
いつがいつまで一人でおけば
身分さまたげ邪魔あるほどに
早くお七に養子をもらい
そして二人が隠居をいたす
話きまれば娘のお七
なんというても年若なれば
智恵も思案もただ泣くばかり
そこでお七は一間にはいる
覚悟きわめて書き置きいたす
とても吉三に添われぬなれば
自害致して未来で添うと
思いつめたるカミソリもちて
すでに自害をいたさんものと
思う折りから釜屋の武平
かねてお七をくどかんものと
忍ぶ折から様子を見れば
武平おどろき言葉をかける
これさお七や何しやさんす
これに訳あろ仔細もあろと
いえばお七は顔ふりあげて
これさ武平さん羞かしながら
いうにいわれぬわたしの心
親も得心 親類までも
話相談した某の上で
妾に養子をもらうというが
いやといったら親たち不孝
親にそむかず養子にすれば
二世と契りし男にすまぬ
親に好く人 わたしはいやよ
わしに好く人親たちいやよ
あちら立てればこちらが立たぬ
どうぞ見逃し殺しておくれ
聴いて武平は悪心起こす
とても私の手際じゃゆかぬ
さらばこれから騙してみんと
これさお七よよく聞かしゃんせ
そなたぜんたい親への不孝
かわいい男に逢われもすまい
とてもそなたが死ぬ気であれば
ここに火をつけ我が家を焼けば
我が家焼ければ混雑致す
婿のはなしも止めにもなれば
可愛い男に逢われるように
それがよかろと言われてお七
女こころのあさはかゆえに
ただちに火をつけ我が家を焼けば
家はおどろく世間はさわぐ
さわぐまぎれに釜屋の武平
八百屋家財を残らず盗む
またも武平は悪心起こす
わしが恋路のかなわぬゆえに
にくいやつらは二人の者よ
いまに憂き目にあわせてやろと
ただちに役所に訴人いたす
そこでところの役人さまが
あわれなるかなお七を捕らえ
町の役所にひきつれなさる
吟味するうち獄屋にいれて
あとに残りし小姓の吉三
それときくより涙をながし
さてもあわれは八百屋のお七
もとのおこりはみなわしゆえに
いまに獄屋の憂き目をみるか
そなたばかりは殺しはせぬと
いまにわたしも未来にゆくよ
しかしにくいは釜屋の武平
わしも生まれは侍なれば
せめて一太刀うらみを晴らし
それをみやげに冥土へゆくよ
用意したくで探しにゆきやる
本郷へんにて武平にであい
怨み刀で一太刀斬れば
うんとばかり武平はたおれ
吉三手早くとどめを刺して
首をかき斬りわが家にもどる
委細のこらず書き置きいたす
直ちにそのまま自害をいたす
そこでお七はのこらず吟味
罪がきまれば獄屋を出でて
ゆくはいずこよ品川おもて
哀れなるかや娘のお七
いうにいわれぬ最後でござる

      
下関市 盆踊り音頭  二
   亀山神宮したの砂浜で 八丁浜盆おどりとして みんなでおどられたもの
            NO 2

野辺の薄な嵐にもまれ
人の器量は恋路にまよう
八百屋お七と浪花の梅は^_
聞き初めつつ その数々は
吉三さまへと送りし文は
谷の木の葉と露うち払い
流し 心は解けて
     下ひもを
解けて寝る夜は渚の舟よ
加持も祈祷も叶わぬ浮き世
希な契りは世にさだめない
流し〜 二世も三世も
     かわらじと
     契りし筆の
文の情けでお七が寺へ
しばし涙は軒端の雨よ
揺すり〜 枝を離れて
      世に躑躅咲く
 恋し昔のあの一筆は
流し〜 一つとさあのえー
くどき[一つとさあはどうじゃいな
 一つは今日の八百屋店
 八百屋の店の売り物は
 白瓜黒瓜玉子瓜
 木の芽ちしゃの葉三つ葉セリ
 いまのはやりの夏大根
 背戸の池にはハスもある
  ハスの田んぼに漬けてある
 里芋の皮はむいてある
 ニンジンやゴンボウや
 むりに刻んで
 皿に盛ってある
 ひと皿五文で売っている
 あるあるなんでもあるわいな
 金柑やミカンや
 浅漬けミョウガに瓜漬けに
 店の器に飾りたて
 とんやとんや唐がらしの子
 ゴマの子に 芥子の子にサンショウの子
 はやはや辛いがワサビの子
 めった辛いが胡椒の子
 意地の悪いが男の子
 油断ならぬが娘の子
 道楽女にててなし児
だれがおしえて一わのわらを
流し〜二つのさあ えー
くどき[二つとさあはどうじゃいな
二人の親たちやしらねども
お七と吉三の
仲のよいこと
ねんごろやにや
ねんごろして
心かまことに
実からほんに
離りゃ得ぬ
流し〜二人の仲は三味の糸
揺すり〜一世はきれても二世の縁
三の音色で文書き送る
流し〜三つのさあ えー
くどき[見れば見るほどよい女房
吉三がほれるのも無理はない
四つとさあは どうじゃいな
 用のない門にも二度三度
 お七に会うとて 門にたつ
五つとさあはどうじゃいな
 いつもはやりのかんざしを
お七に差させて品を見る
流し〜六つとさあのえ
くどき[無理から締めた腹帯を
 ゆるめてやんなれ 吉三さん
七つとさあはどうじゃいな
 なにをいうにも語るにも
 お七の腹にはややがいる
 ややかべえかは知らねども
 産まれておちて泣く声は
 切れぬ刀のさび刀
 研ぎ屋へ 研ぎ屋へと
 言うて泣くわいな
八つとさあはどうぢゃいな
 屋敷広めて蔵たてて
 お七と吉三が隠居する
九つとさあは どうじゃいな
 ここで死んだらどこで会おう
 極楽浄土の門であう
流し〜十とさあのえー
くどき[唐土天竺唐までも
ついて来なされ 吉三さん
十一とさあはどうじゃいな
十二薬師に願かけて
 お七と吉三が願ほどき
流し〜十三とさあはどうじゃいな
くどき[十三桜はさかねども
 お七と吉三はいま咲いた
十四とさあはどうじゃいな
 十四で嫁入りまだはやい
もすこし待ちなれ十五まで
流し〜十五とさあのえー
くどき[十五夜 月は夜にあまる
 お七と吉三は手にあまる
十六とさあはどうじゃいな
 十六羅漢は石羅漢
 女房もたせにゃはたらかん
十七とさあのえー
くどき[質にいれたる繻子の帯
 請けてやんなれ吉三さん
十八とさあはどうぢゃいな
 八万地獄にいまおちる
 助けてやんなれ吉三さん
十九とさあはどうじゃいな
 九万お寺に参るとて
 賽銭わすれて恥かしや
流し〜二十とさあのえー
くどき[庭にさいたるカキツバタ
 ひと枝やんなれ 吉三さん
重る月日はこの世界のなごり
ぜひも涙に引かされ世には
曇る空かや 身を知る雨の
流し〜濡れて君こそ 濡れもせぬ
かかる浮き世は あいあい傘よ
絞りなさけのあの一筆を
流し〜下さえも
ユスリ〜下から情けの
 初あらし
怨み忍んで涙をおさえ
妻はこの世の有開桜
われは君ゆえ 身は緋桜の
燃えるお前は未来の迷い
ただ一遍の
題目は
揺スリ〜この世のなごりとおぼしめす
 回向たのむとさしうつむいて
揺スリ〜煙のなかの
 数万の人の
 泣く声は
 くれに蚊の鳴くごとくなる
 八百屋お七の
 思いの深さ
 九千八百八色もござる
 それを聞くより
 小姓の吉三
徒歩やはだしで駈けきたりしが
流し〜吉三はなこりの顔もみず
ユスリ〜一足遅くて会われない
 六日の朝の初菖蒲
なんというても身はつなぎ舟
流し この世の縁こそ薄くとも
 未来かならず相合い傘よ



岩崎保重 防長民謡集 私家版
防長民謡八百屋お七手まり唄
- 
 あれあれ見やれ あれに見ゆるは八百屋店 八百屋店なら小間物屋 芋大根ニンジン牛蒡 酢酒エ かぼちゃ ショウガ売れる それに娘が居るそうな 色白お白のよい女房 目細 鼻鷹 桜色 銀のかんざし品よくて お七にささせて容姿みよ 吉三がほれるのも無理はない 吉三が手習いする時に 離れ座敷の奥の間で 一段あがれば惚れとなく 二段あがれけば 惚れとなく 三段四段と上りつめ 上りつめたる物案じ 死んだら仏になりさうな

              

下関市盆おとり音頭帳 集文堂
下関市 盆踊り音頭  三
  亀山神宮したの砂浜で 「八丁浜盆おどり」としてみんなでおどられたもの

承前
流し
ひとつとさあのえー
クトキ
人目が関にせかれつつ
恋しきこの身を知らせたや
流し
二つとさあのえー
口説き
二人が忍んで寝た夜さの
そのうれしささやおかしさや
三つみたいがとびたつほどに
ともかくお前と離れたら
 五つかこの事世に出てて
六つむげない恋をして
七つ難儀はわれ一人かと
八つ病のタネとなり
九つこの世にうまれでて
十で殿御さんに添いたいのものと
思いつめたる縁の糸
恋はわが家を焼きすてて
小姓吉三へ添いたいものと
だれが教えたいちわのわらを
八百屋町中火事になる
直にお七がお調べとなる
お七 十四であろうがや
いえいえ十五でありまする
涙ながらに役人は
お七は 十四であろうがや
いえいえ十五でこざんする
十五といえば是非がない
しばれ しばれと 御上意にの
芦毛の馬にのせられて
広いお江戸の町中を 
あちらこちらとひきまわされて 
あまた道中や仲間まても
クドキ
あれが八百屋のお七かな
色白々と
よい女房
吉三がほれるのもむりはない
かかるところが はや鈴ケ森
それきくよりも吉三郎は
クドキ
切ってさしたすビンの髪
お七が肌にとさしいれて
わしがこの髪肌にさつけ
死んだら二人が極楽に
ゆくと思えばたのしみな
八百屋お七は無常の最後

角力甚句
むつみ村史

惚れたヨー 病もお医者でなおりゃ 八百屋お七はコリャ 殺しや
せん 姉さん長持ちや 天から降ったか 地から生えたか 毛々ども生えたか 牡丹餅はマメなか だまちょれ だまちょれ



小野田市 口説き

花のお江戸にその名も高き
本郷二丁目に八百屋というて
よろず青物渡世をなさる
店もにぎやか繁盛なくらし
折りも折りかや正月なかば
本郷二丁目はのこらず焼ける
そこで八百屋の又兵衛ことも
普請成就をするその中に
檀那寺へと仮り越しなさる
八百屋りお寺はその名も高い
ところは駒込吉祥寺さまよ
寺領ご朱印おおきな寺よ
座敷間かずもたくさんあって
これにしばらく仮り越しなさる
八百屋娘はお七というて
年は二八で花ならツボミ
器量よいこと十人すぐれ
花にたとえて申そうならば 
立てばシャクヤク すわればボタン
歩く姿は百合の花
寺の小姓に吉三というて
年は十八うす前髪よ
器量よいこと卵に目鼻
そこでお七がふと馴れ染めて
日頃恋しと思うておれど
人目おおけりゃ 話もできぬ
女こごろの想いのたけを
人目しのんで話さんものを
想う折から幸せなるか
寺の和尚は檀家へゆきやる
八百屋夫婦は本郷へゆきやる
後にのこるはお七と吉三
そこでお七は吉三にむかい
これさ吉さんよく聞かしゃんせ
後の月から貴方を見初め
日々に恋しと思うて居れど
親のある身や人目をかねて
云うに云われぬ話もできず
今日が日までも云わずにいたに
わしが心をこれ見やしゃんせ
かねて書いたる某の玉章(たまづさ)を
吉三見るよりさしうつむいて
さても嬉しきお前の心
されば私はどうなりましょと
主の心に従いましょと
この夜うちとけ契りをむすぶ

八百屋夫婦は夢にも知らぬ
もはや普請も成就すれば
もとの本郷に皆ゆくほどに
それにつけてもわらわとお前
別れわかれに居るのはいやと
実はわたしも悲しうござる
いえば吉三もなみだを流し
わしもお前に別れがつらい
共になみだの果しがつかぬ
そこで吉三は気をとりなおし
これさ お七よよく聞かさんせ
後に逢われぬ身じゃあるまいし
またも逢われる時節もあろう
心なおして本郷へゆきな
わしもこれからたずねてゆくよ
いえばお七はなごりをおしみ
なみたながらに両親ともに
もとの本郷へひっこしなさる
八百屋久兵衛日柄をえらび
店をひらいて売初めなさる
そこの近所ののわか衆共を
客にまねいて酒宴なさる
酒のお酌は娘のお七
愛嬌よければ皆さんたちが
われもわれもとお七をめざす
わけて目指すは窯屋の武平
男よけれど悪心者と
あたり近所の札付き者よ
その夜お七に逢い初めてより
どうぞお七を女房にせんと
思う心を細かに書いて
文をしたためお七におくり
お七方より返事もこない
そこて武平はじれたしなさる
さればこれから八百屋にしのび
あのやお七に対面いたし
いやであろうがあるまいとても
くどきおとして女房にせんと 
想う心も恋路の欲よ
人の口には戸はたてられぬ
人のはなしや世間の噂

それを聞くより八百屋の夫婦
もはやお七も成人すれぱ
いつがいつまで一人でおけぬ
身分さまたげ邪魔あるものよ
早くお七に養子をもらい
そして二人が隠居をいたす
話きまれば娘のお七
なんというても年若なれば
智恵も思案もただ泣くばかり
そこでお七は一間にはいる
覚悟をきわめ書き置きいたす
とても吉三に添われぬなれば
自害致して未来で添うと
思いつめたるカミソリもちて
すでに自害をいたさんものと
思う折りから釜屋の武平
かねてお七をくどかんものと
忍ぶ折からこの様子見たる
武平おどろき言葉をかける
これさお七や何ぜ死にやんす
これに訳あろ仔細もあろと
いえばお七は顔ふりあげて
これさ武平さん羞かしながら
いわねばわからぬわたしの心
親も得心 親類たちも
話相談したいたした上で
わたしに養子をもらうというが
いやといったらわたしの不孝
親にそむかず養子にすれば
二世と契りし男にすまぬ
親の好く人 わたしはいやよ
わしに好く人親たちいやよ
あちら立てればこちらとやらで
どうぞ見逃し死なせてくれと
聴いて武平は悪心起こし
とても私の手際じゃゆかぬ
さらばこれから騙してみんと
これさお七よ よく聞かしゃんせ
そなたぜんたい親への不孝
かわいい男に逢われもすまい
とてもそなたが死ぬ気でおれば
ここに火をつけ我が家を焼きな
我が家焼ければ混雑致す
婿のはなしも止むものなれば
可愛い男に逢われるほどに
それがよかろと言われてお七
女こころのあさはかゆえに
ただちに火をつけ我が家を焼けば
家はおどろく世間はさわぐ
さわぐまぎれに釜屋の武平
八百屋家財を残らず盗む
またも武平は悪心起こし
わしが恋路のかなわぬゆえに
にくいやつらは二人の者よ
いまに憂き目にあわせてやろと
すぐに役所に訴人いたす
そこでところの役人さまが
あわれなるかなお七を捕らえ
町の役所にひきつれなさる
吟味するうち牢屋にいれる
あとに残りし小姓の吉三
それときくより涙をながし
さてもあわれはお七ごどのよ
もとのおこりはみなわしゆえに
いまに牢屋の憂き目をみるか
そなたばかりは殺しはせぬぞ
いまにわたしもあの世にゆくよ
しかし悪いは釜屋の武平
わしも生まれは侍ゆえに
せめて一太刀うらみを晴らし
それをみやげに冥土へゆこと
用意したくで探しにゆきやる
本郷あたりで武平にであい
怨み刀で一太刀斬れば
うんとばかりに武平はたおれ
吉三手早くとどめを刺して
首をかき斬りわが家に帰り
委細のこらず書き置きいたし
すぐにそのまま自害をいたす
そこでお七はのこらず吟味
罪もきまれば牢屋を出でて
ゆくはいずこぞ品川おもて
哀れなるかや娘のお七
いうにいわれぬ最後でござる

              
白河おどり
福栄村史

惚れた病もお医者でなおりゃ 八百屋お七は殺しやせん
錦町祝い歌 いずもさんこ
山口県民謡緊急調査 県教育委員会

本所二丁目の八百屋のむすめ
としは十四で名がお七
こうしょで吉さに惚れぐさが
よめなりならずに 子ができて
二人の親はとんがらせ
ワサビが悋気で鼻はじく
からせがきたか トコドンサイ目に涙

山口県民謡緊急調査 のぞきからくり
美祢の「八百屋お七口説き」
 

アラー 音頭出せ 音頭出せ
音頭がなけりゃ 踊られぬ
アラ ドッコイ ドッコイ 
私の音頭は大根畑 
ところどころにぬけ間がござる
抜け間どころにゃ お囃子をたのむ

アラー 八百屋お七の恋ものがたり
ある日お七が思うには
もう一度わが家を焼いたなら
お寺で 小姓の吉三さんにと 
添われようかと
火事じゃ 火事じゃと 半鐘つく
だれ知るまいと思えとも
お七が宅から三軒目
釜や 宇平が主任にて
すぐさま 役所にかけつける
そこで役所が大騒動 
お七めしとれ お裁きとなる

アラー お七ちゃ 十二か十三か
やまやまとっても 十四かや
いえいえ おじさん わしゃ 十五
まだも十四であろうがや
わたしの生まれはひのえの年のひのえ馬
七月七日が誕生で
そこでお七と名をもろた 

十四といえば助かるに 
十五といえば 是非もない
早く綱もて ご用の綱を
三日三夜サは 牢の中
引き出すところは牢の口

アラー
白毛の齣に乗せられて
ひろきお江戸の町中を
あちらこちらとひきまわされて
さるされる
品川表を通るとき ドッコイ

あまた女郎衆の云うことにゃ
あれが八百屋のお七かや
色白々と桜色
目もとバツチリ 鼻高で
口もとじんじょうで 歯が白で
髪はカラスの濡れ尾ばね
吉三が迷うたも 無理ないことじゃ
       
         
埋もれていた近松の作品の発掘 長州藩下関を舞台にした純愛とお家騒動もの
ルネッサ長門専属の実験劇場が、近松の作品リストにはなかったが 近松の作といわれる「猫魔達」を 上演しました。「猫魔達」は近松の名作「曽根崎心中」が発表されるより六年前。たった一度、上演されたまま 近松長州説が土俵にあがるまで 埋もれて放置されていた作品です。
 なぜなら 舞台は長門国下関だからです。
「・・・・長門の国は下関。闇の中には松明の火が浮かぶ。住吉神社 和布刈神事の夜・・・」
 舞台は まるで若きの日の近松の再現かと目ををうたがう、長門の国藩主の家柄にうまれながら浪人の身である若者と、姫君と恋仲。そこへ長門の国のお家乗っとりを企む僧侶がからみ、若者の正義感と姫君の勇気が、僧侶の悪企みをつぶしてしまいます。
「これで 長門の国は 末代まで万々才じゃ・・・」というセリフとともに幕が降ります。
 赤間神宮のある阿弥陀寺町とか、門司和布刈神社とか 下関市民は「近松のこれはわが下関の街の話だ」とおどりあがりもし 喜びもするなじみの町名も登場します。
 日本図書館選定図書に指定された私著には 紹介しましたが 「近松は十二才のとき 下関観音崎、永福寺義天和尚につれられて唐津近松寺に入籍した」と 佐賀県東松浦郡史にあります。
 大阪屋劇場と近松と遊女たちと下関との縁の深さは 昨年はKRYTVに出演延べ三日間にわたり紹介しましたし、今年も「猫魔達」上演について KRYTVに出演、解説をしました。
 以前から 力説していたとおりです。
 中央文化人から「文化果つるところ」と 冷笑されるのもしかたないともいえるのが、近松長州説を結果として さらに強烈にバックアップすることになるこの「猫魔達」が 近松が生まれた防長の文人ではなく 山口県民芸術劇場が「東京から」招いた青年座の若い演出家 高木とおる氏により 近松の郷土 山口県の舞台に のせられたことです。
 高度情報化社会では まずまっさきに 目をとうすべきは「官公庁の出版物」 ついで「新聞」、そのつぎに週刊誌であるとは 県史編纂委員教授の松蔭の「飛耳長目論講座」でしたが 中央優良図書審議会が日本図書館選定図書に指定した瞬間に中央文化人は反応する。官公庁である文化庁が このふるさとを 近松の里指定をした瞬間に 中央文化人が過敏に反応する。
 中央依存の山口県の文化人が 先に過敏反応した中央文化人先導により 反応するのは、あとになります。ここらに自称革新派アウトサイダー その実 本質は頑迷なインサイダーでしかないと 文化人類学の山口昌男にわらわれる 自称アウトサイダーの変化にすばやく適応できぬどうしうもない保守性もあります。
 もっとももう近松大橋 近松道路公園 近松みすず道路、そして 七十億円の県民芸術文化劇場と 既成事実としての近松のふるさとづくりは 官僚主導てとうに完了したあと。
 ぼくのインタネットホームページも 劇作家協会や東京近松会ホームページを窓口にして 世界に情報発信しています。
 このように ふるさとの新しい中世文化史が創られる流れから 山口県の文化人がとりのこされるのをみて、中央文化人からまた「文化果つるところ・・・」という皮肉がきこえそうです。
 劇団アトリエ 芝居小屋が きらら博イベント野外劇場で 先帝祭 花魁道中にちなんでパラエテイショウに 近松の平家女護島をとりあげます。中央からの動きと地元から沸き起こる動きとがが手をむすんだとき、ハードとての近松でなく 人びとの魂をみちびいてゆくソフトとしての近松が県民のものになるでしょう・・・・
 西鶴の紹介によってか 加賀掾一座で 売りだした近松は、やがて 飛躍をめざして「下関の大阪屋劇場もふくむ 西日本一帯に巡業にきた」竹本義太夫一座に招かれます。
 加賀掾一座が 人気作家西鶴の「暦」を上演すれば 「まけてはならじ」と 竹本義太夫一座は雲上式部地下近松とされる純愛物の人気作家近松の作品を つぎつきに上演。
 競争に敗れた加賀掾一座は 火事になり、ついに姿を消します。
 ここに名実ともに勝利した竹本義太夫一座とともに 近松は「雲上式部地下近松」とされる純愛物の人気作家の不動の名声をきずきました。「西日本一帯に巡業にきた竹本義太夫一座と知り合い」になり座つき作者して招かれてからです。招かれるまえは 近松はたくさんの劇中に登場する遊女たちのいる下関の大阪屋劇場にいなかったでしょうか・・・ 「・・・・長門の国は下関。闇の中には松明の火が浮かぶ。住吉神社 和布刈神事の夜・・・二百年の長きにわたり 埋もれていた近松の作品 「猫魔達」の冒頭の語りです         発信 二OO一年四月九日

   
説教節のLP,CD
    提供フリーライター 権田潤氏(東京)(2000.6.10記)
 現在までに入手した説教節のLP,CD を順不同にリストアップしました。
 節談説教のLPは割愛
 
       『埼玉の民俗音楽 横瀬の説教節』
 1.小栗判官実道記・矢取りの段
 2.蘆屋道満大内鑑・葛の葉 二度の子別れの段
 ― 若松多津太夫(三味線弾き語り)
     収録昭和57〜58年
 企画制作/埼玉県立民俗文化センター
 製造/東芝EMI  SOCD‐1014 ?1997
 (埼玉県立民俗文化センターより入手可能。定価1,000円)
 『説教節/初代若松若太夫』
 1.石童丸
 2,3.葛の葉
 4.義民佐倉宗五郎
 5.小栗判官
 6.曽我兄弟・母子別れの段
 7.佐渡の日朗
 ― 初代若松若太夫(三味線弾き語り)
 大道楽レコード DAI‐007
 発売元/株式会社メタ・カンパニー
 『説教節 石童丸/二代目若松若太夫
 「高野山墨染衣」石童丸山廻りの段〜衣掛けの段
 ― 二代目若松若太夫(三味線弾き語り)
 口上・青木久子
 監修・中村とうよう 解説・秋本吉徳
  テイチクレコード PP6142(廃盤)
 『日本文化の伏流 民衆芸能 説教節集』
(上巻) VZCP‐1008〜11
一  1.伽羅先代萩/九代目薩摩若太夫(加藤健次郎)
   2.奥州安達ヶ原二段目 文治住家の段/十代目薩摩若太夫(浜中平治)
   3.絵本太功記 尼ヶ崎の段/十代目薩摩若太夫(浜中平治)
二  1.日高川 清姫嫉妬の段/十代目薩摩若太夫(内田総淑)
    2.小栗判官一代記 判官・照手二度対面の段/十代目薩摩若太夫(内田総淑)
   3.絵本太功記 尼ヶ崎の段/十代目薩摩若太夫(浜中平治)
三  1.信太妻 葛の葉二度目の子別れの段/十一代目薩摩若太夫(石川浪之助)
   2.浅倉宗吾 仕置の段/五代目薩摩若太夫(峰尾孝次)
四  1.日高川 清姫嫉妬の段/十二代目薩摩若太夫・薩摩要太夫(古屋要平)
   2.素語 小栗判官一代記 判官矢取りの段/若松若代志(三橋良雄)
 (下巻) VZCP‐1012〜15
一  1.一の谷嫩軍記 敦盛館・熊谷太刀打の段/初代若松若太夫(松崎大助)
   2.佐倉宗吾の直訴/初代若松若太夫(松崎大助)
 
  3.小敦盛 児捨の段/初代若松若太夫(松崎大助)
   4.石童丸/初代若松若太夫(松崎大助)
   5.義民佐倉宗五郎/初代若松若太夫(松崎大助)
   6.葛の葉/初代若松若太夫(松崎大助)
   7.小栗判官/初代若松若太夫(松崎大助)
   8.曽我夜討/初代若松若太夫(松崎大助)
二  1.小栗判官実道記 矢取りの段/若松吉野太夫(大野竹次郎)
    2.江戸紫恋緋鹿子 八百屋お七忍びの段/若松吉野太夫(大野健次郎)
三  1.信太妻 第三段/十一代目薩摩若太夫(石川浪之助)
   2.浅倉宗吾 仕置の段/霍間幸雄
四  1.小栗判官照手姫 本陣入小萩説話段/六代目岡本美寿松太夫(服部松次)
   2.説教節薩摩派四十八節/十代目薩摩若太夫(内田総淑) 
 
 ― 「多摩の歴史・文化・自然環境」研究会編
   発行: 法政大学多摩地域社会研究センター
   制作:ビクター伝統文化振興財団 ?1998
 『また又日本の放浪芸 節談説教 小沢昭一が訪ねた旅僧たちの説法』
一 フシの魅力 
    歌謡曲/浪花節/義太夫/声明/小沢昭一「榎物語」
   説教と私
         説教(故範浄文雄師・故川上晃英師)/小沢昭一「説教板敷山」/
    太子講絵解/源兵衛生首絵解
弐 節談説教を訪ね歩いて
    黒川幸作師/天井順導師/説教(故香城教導師)/荒川徳証師/
    川岸不退師
   説教 信心諍論(後席)/川岸不退師
参 説教 加典兄妹/広陵兼純師
   説教  大根屋/寺本明観師
四 説教 本願相応の徳(後席)/誓山信暁師
   説教  三十三間堂棟由来(後席)/野上猛雄師
五 説教 阿免樓駄尊者(後席)/豊島照丸師
   説教 忠臣蔵―寺岡平右衛門の段/祖父江省念師
六 座談会 説教節あれこれ
    祖父江省念・関山和夫・小沢昭一・永 六輔(司会)
  放送劇  「夢の......」
    出演= あるおばあちゃんと小沢昭一
    制作= 北陸放送 昭和四十八年芸術祭優秀賞受賞
 ― 取材・構成/小沢昭一
    ビクターエンタテインメント VICG-60243〜48 ?1999
 
                                                 
 
                                                 
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