近松の現場へのご招待
 

        山口県の近松ゾーン
         
ザビエル・キリシタンの「影」
        俵山温泉のマラ(マリア)観音

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参考までに 子安観音は木食上人の大胆な創意


 元来、仏教には子安信仰はない。
 しいていえば、妙法漣華経観世音菩薩普門品第二五に「観世音に祈れば望み通り 男女いずれにも子がさずかる」という経文が、あるくらいである。
 子安観音が仏教の七観音の列に仲間入りするようになったのは、
木食上人の大胆な創意に端を発している。
 木食上人は 七観音のなかに、十一面観音の代わりに 子安観音をいれているが、福田了介氏ほかの観世音研究には六観音、七観音、二十五観音、三十三観音のいずれにも 子安観音の名は現われていない。
 古えにさかのぼり、聖母マリア像が日本にわたったのは いつであったのか。キリスト教の一派が、わが天平年間に唐の長安を経て、ペルシア景教僧、李密医らにより、日本にはいったのであるが、当時、福音書が伝わったからには、聖母マリア像の渡来を、否定するわけにはゆかない。
 一方、親鸞上人の筆写せる
「漢訳マタイ伝」が なお京都本願寺に存する由である。
            中  略
 子安観音に限りなき親心を寄せて、七観世音の列にくわえた木食上人は、晩年、天明から寛政にわたり、十年間九州巡錫中、寛政七年十月、七八才のとき、一年近く長崎ですごし、みずからは、切支丹にはならずとも、ひそかに長崎の雰囲気に「切支丹とはは何か」ということをつかんでいた。
 上人作の仏像に 子安観音がみ出されるのは、長崎時代以後である。
 四国中之庄薬師堂光明庵にある立ち木 子安官観音は、寛政十一年六月 木食上人、八十二才のときの作、
 甲府教安寺の子安観音は、文化五年、木食上人が九十一才のときの作で、文化七年六月五日入寂されたのであるから、死没より二年前の作品だろう。
      
内山善一校注 山田野里夫編集 三田元鐘「切支丹伝承」百五ページより
首なしマリア観音にだかれた十字架もむべなるかな 
 日本と山口とスペインの友好を築き日本最初のクリスマスを行ったザビエルと英才大内義隆
南条踊りの十字架の原型 十字架を抱えた首なしの大内家の女性像
           
 マルは当時 マリアの日本語のこと マリア観音ことマル観音が 大内家滅亡とともに 逆手をとり マラを周囲に たくさん建てて偽装され マリア観音が護られた庶民の智恵 マラ観音に 変じていったものとされる。
     安産 子授けの観音として有名
 知らぬこととはいえ まさかみんなザビエルの十字架に手をあわせていのってきたとは
信仰の世界のブラックユーモアだ

                                                       

 一本松城落城のおり わんが子亀王丸を抱いて逃げ 民家にひそみ 亀王丸を育てし大内の女性あり その功績をたたえて 法名を「栄誉信盛」という 大内氏実録
 近松門左衛門は 幼名を杉森平馬といい 長じて姓名藤原 名を「信盛」と名のる 
 法名を「栄誉信盛」という位牌をまつりし 大内系の寺をさがすも いまだ位牌 見あたらず 
 
 大内家にはザビエルにより キリシタンに帰依した高貴の人多し 
 大内の最後の末裔が マラを切り取られて落命せる俵山マラ観音に 首ははねられて 
顔はさだかならぬが十字架を抱いた高貴の女性像あり 
 その童子 大寧寺に位牌あり 戒名を 珍宝毛童子・「チンポの毛童子」とされているなり。
 現在もぺニスの先端を 亀頭マラという。
 とらえられしマラをきりとられ ペニスの名をつけられし 珍宝毛童子とは おなじくペニスの別名 亀王丸なりしか
 すればこのキりシタン女性像 
 まだ五才にならぬ大内の末裔の王子珍宝毛童子こと 亀王丸をつれて 俵山の民家に逃げのびしを 捕らえられて 首をはねられし 大内のキリシタン女性「栄誉信盛」なりしか もぎとられた王子のマラをかたちどる無数の奉納マラ像  
母をしたうごとく その女性像をかこみて林立す 
 その静寂の風景 近松ならずとも ただ あわれなり 
 もぎとられた王子のマラをかたちどる無数の奉納マラ像  母をしたうごとく その女性像をかこみて林立す 
 その静寂の風景 

         
06年9月5日山口新聞より
文化の大内氏に反乱した軍勢が 捕らえた大内
氏の幼い王子の ペニスを切りとったとされるマラ観音
        
新設された俵山女歌舞伎劇場
県の無形民俗文化財 俵山女歌舞伎
                                  
余暇を有効にすごす方法  ヤスパース
 わたしたちが、自分の余暇を、もっとも上手に利用する方法は 過去の華々しい事物と親密になり、あらゆるものが、ほろびてゆくというような不幸を、熟視することである。
 わたしたちが現在、経験していることは 歴史の鏡により、一層よく理解される。
 歴史かつたえるもの。それはわたしたち自身により、生きたものになる。
 わたしたちのくらしは 過去と現在の相互の照明により 進歩する。
 接近して、自分の身をもって観察しよう。
 個々のものごとを 注視することによってのみ、歴史はほんとうに、わたしたちと関わりをもつようになるのだ。
 わたしたちの自己確認にとっては いかなる実在しているものも、歴史ほどに重要ではない。
 歴史はわたしたちに 人類のもっとも広大な地平をさししめし、わたしたちの生活の基礎となっている、伝統の内容を わたしたちにもたらす。歴史は現在的なものごとへの基準を わたしたちに教える。
 歴史は、いま自分が生きている時代の 無意識のさまざまな拘束から、わたしたちを解放してくれる。
そして人間を(さばくのではなく) その最高の可能性と その不滅の創造性において見ることを 歴史がわたしたちに 教えてくれるのだ。             
                   ヤスバース「哲学十二講」☆

 

 

        

 
 
 
デイスカバー大内
セ氏  長門から美祢郡秋芳町嘉万の日吉神社にいたる往還に 火の見という集落がある 。
 付近の筆者の生まれ故郷 
美東町の景清洞の生き目神社には 近松の名作「出世景清」の神話の原型が立て札に そのまま 残っていて「出世景清」に登場する女性、阿古屋という店すら、いまにある。山口県の近松ゾーンの一つである

 その火の見から、県有林の道をのぼると 大内舘跡(おおうちやかたあと)とよばれる屋敷跡がある
 妙見をまつる美東子町赤郷の 桂木山にのぼる途中だ。
 灌木と蔓におおわれた五百年前の石材がくさむらに ひっそりとうずもれている 
 初夏の周囲は うまれたてのウグイスの あまりうまくない発声訓練に ついほおえんでしまう
 大勢でおしかけてはいけない
 木洩れ日がさしこむ 静かな若葉みどりの香りに満ちた県営林のそこは まだ さかんに「ホー」「ホー ホホホ・・・」というだけで どうしても「ケキョ」「ケキョ」という声が うまく出ないで さかんに頭をかしげている あどけない幼稚園児のウグイスたちの 無心と平和の楽園であるから 県の許可を得てゆくべきである
 下には岩石製の大きな水の受け皿もある。
 そこは大内神話の里だ。   
 大内探訪者には 思わぬ発見もあるだろう
 山中にひっそり定住した 「もうひとつの大内家の人々の 争いを好まない優雅な姿」が 見えてくるの

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