最近のこと。
 風呂場から川ガニが姿を現さなくなった。
 ……そう。わたしの住んでいるところはおもいっきり田舎である。
 それでも道は通っているし、車だって走っているし、商店街も(小さいけれど)あるし、
商工会だってある。病院も付属学校のついた大きなのが(ひとつ)あるし、個人病院もい
くつかある。高速のインターだって近くにある。
 それでもおもいっきり田舎なのには、変わりは無い。
 で。
 わたしは、そこが好きなんである。

 しかし、だ。
 人間というものは、自分たちの安全とか便利さとかいうものを、常に追い求めているも
のらしい。
 おかげで、しばらく前までは、なぜか風呂場に川ガニが出没していたのであるし、現在
はそれすらも、見かけなくなってしまったのだ。

 わたしの家の前には、小さな川がある。
 今はコンクリートでふたをしてしまったので、少し先に行かなければ、水が流れている
ところを、見ることはできない。もともと、農業用水と生活廃水を流しているところなの
だ。わたしが小学校の1、2年の頃までは、コンクリートで補強されていなかったので、
川の泥の中に、ヤゴなどがいたものだ。
 その川というか、用水路のほとんどスタート地点がうちの家なので、その川が汚れてい
れば、うちの責任ということで、綺麗に水は使え、と両親に良く言われていたものだ。
 川魚も住んでいたし、たにしやなんかもいたし。結構よい、遊び場だったのだ。
 夏の今ごろからは、花火をする場所でもあった。
 わたしの家のあるところは、正面に小道を隔てて立つ、叔父の家とはもともと同じ地所
の中にあった。だから、そんな場所で花火をしようが、庭でバーベキューをしようが、お
かまいなしだったのだ。
 ……いや、それは今でもだけれど。
 そういや、最近してねーな。そろそろやろうかなぁ。
 ……それはともかく。

 前述の川は、その小道に沿って流れている。水田に水を流す為に。
 しかし、その水田も作る人がいなくなって、久しい。畑として、なんだか荒涼とした姿
をさらしている。庭にあった木をそちらに移動したりしているので、もとが水田であった
ことなど、きっと想像なんかできないかもしれない。
 小道も、かなりの人が通るようになってしまった。わたしの曽祖父にあたる人が、中学
校にグラウンドを寄付した時に、その小道も一緒に町に寄付してしまったからだ。
 中学生が通るのに安全なようにと。
 おかげで、わたしは保育園の頃に、車の事故に遭い、父は家から車を出したときに、追
突された。……ひいじいちゃん……。

 だもんで、その川にコンクリートの蓋がされるときにも、わたしには、文句を言う権利
が無かったのだ。あれば絶対に反対していたことだろう。

 わたしは自然派である。タブン。いや、自然シンパというか。
 変化を余り好まない……と言ったほうが正しいかもしれない。
 視覚的感覚的な。
 
 水田がなくなって、カエルの合唱に夏の安眠を妨げられることが無くなったかわりに、
水田の上を渡ってくる、あのさわやかな風もなくなってしまった。
 川にフタがされてしまったおかげで、車を離合させるときに、川に車を落とす心配が無
くなった変わりに、夏の遊び場と、きらきらとした魚と、小川の立てるさわさわとした、
心休まる水音も無くなってしまった。

 そうして、川ガニが、うちの風呂場に姿を現すことも無くなってしまったわけである。
 
 これでいーんかなぁ、と思う。
 それでも近所で蛍を見ることは出きるようになってきたし、決して自然が破壊されてい
ってるだけではないのだろう。

 それでも。

 決して返ってくることの無い、あの水音をわたしは、もう一度聞きたい。