説教要旨

2001年3月25日(日)
 [説教題] 「共にいる主−主に喜ばれる信仰−」
 [聖書] ルカ17:11〜19
そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら
帰ってきて、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリア人であった。

 ルカによる福音書の15章から18章には、神様から本当は祝福を受ける資格はない
と思われたりする人が、祝福を受け、また逆に、祝福を受けることが当然と思ってい
る人が、ふさわしくないとされる出来事がでてきますが、では、本当に神様に喜ばれ
る人とはどのような人であるかを見ていきましょう。

1.10にんのらい病人との出会い
 イエス様が10人のらい病人と出会われます。当時彼らは、その病のゆえに生活境遇
において大変孤独でした。救いを求めてきた10人に対して、イエス様は手をさしの
べられ、「祭司たちのところへ行って、からだを見せなさい」と言われます。この時
は何の変化もなかったのですが、彼らは「行く途中で」きよめられます。ここで、ま
ず教えられることは、信仰とはイエス様のお言葉を信じてまず行動してみるところ
に、恵みがあらわれるということです。

2.「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ。」
 そして、「そのうちのひとり」だけが「大声で神をほめたたえながら帰ってきて、イ
エスの足もとにひれ伏し」ます。その一人とは、当時他国人として祝福を受けるに価
しないとされていたサマリア人だったのです。この一人だけが、神様の元に来て感謝
し、神に栄光を帰することで、病の癒しだけでなく、本当の神の救いにあずかること
ができました。
 当時、ユダヤでは表面的な信仰、偽善的な信仰に陥っていました。神の祝福を受けて
当然だと思っていました。9人のらい病人は、治りさえすれば良いという信仰であ
り、一人のサマリア人は、それをなして下さったイエス様を喜び、神様を意識して共
に歩む信仰となりました。
 このような、神をほめたたえながら全ての栄光を神に帰する信仰、それがイエス様の
喜ばれる信仰です。

 私たちは、自分の弱さ、貧しさがわかるときに謙虚になれるし、また神の恵みにあず
かることができます。しかしその後、恵みを感謝し、神に栄光を帰する生活ができて
いるでしょうか。
 どうか、この一週間、言葉にも態度にも献げるにも恵まれている、そして主に感謝を
ささげる信仰の歩みができますように。そして、イエス様の愛の中にお互いの生活が
祝されていきますように。

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