説教要旨

2001年4月8日(日)
 [説教題] 死に臨むとき価値を失わないもの
 [聖書] ルカ23:32〜49
イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。

  私たちにとって、死は避けて通れないものであり、また死に臨むときには、数多
くのことが価値を失ってしまいます。しかし、死の入り口においてもその価値を失わ
ず、真価を発揮し、永遠に続くものがあります。それは、なんでしょうか。イエス様の
十字架上の、最期のお言葉を通して教えられたいと思います。

 それは、まず第1に神のみことばです。
 「わたしの霊をみ手にゆだねます」というお言葉そのものが、聖書の中にある言葉
です。 イエス様は、聖書のことばをもって、この世の生を終えられたのです。
 12歳の時に、すでに聖書の言葉を熟読玩味されていたイエス様は、その後、荒野
で悪魔に試みられたときにも、み言葉によって、その一つ一つを解決されました。神
のみ言葉は、少年期、公の生涯、そして死に臨んだ最期の最期まで、イエス様の助
けとなったのでした。
 み言葉によって心に受け入れる光と力は、価値を失うことなく、死に臨んだ時でさえ
も、私たちを助けてくれるものとなるのです。み言葉を何よりも愛し、そこに拠り所、希
望を持つことは、死に際しても価値を失わないものをもっていることになるのです。

 そして、第2には父なる神の御名です。
  「父よ」と呼びかけられたことは、天の父なる神の子であることの、揺るがない確信
を示しています。父なる神の愛は絶えることがない、その確信の中で、安心して神の
もとに帰ることができるのです。私たち、主イエスを信じる者も、イエス様によって、神
から子たる身分を授けられました。安心して「アバ、父よ」(愛するお父さん)と親しく
神様に呼びかけ、死に臨むときでさえ安んじていることができるのです。

 第3は神の御力に対する確信です。
命を思いのままにされたイエス様でしたが、「わたしの霊をみ手にゆだねます。」との
お言葉は、人間が加えるあらゆる力を越えて、父なる神の御力、そのご計画の中に
あることを確信したお言葉です。神の全能によって守られていることを確信なさって
いたのです。
 どんな事態、たとえそれが暗黒が勝つような事態、死に臨むような事態であっても、
「み手にゆだねます」と言うことのできる確信に満たされているなら、こんな幸いはあ
りません。
 イエス様は、死に臨んでも、神が真実な守りの中に受け入れて下さることを確信し
ておられました。この慰めは、人知をはるかに越えたものであり、神が御名のゆえに
私たちの生き方を守って下さるのです。

 このように、神を信じる生き方は、その最期の最期まで、神の守りと祝福にあずかる
ことのできる素晴らしいものです。どうか、イエス様に倣って、み言葉を味わい、蓄え、
ままた父なる神との親しい関係にあって、強い確信を与えていただき、身と魂をおゆ
だねする幸いな信仰生活を歩むことができますように。

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