説教要旨

2001年5月27日(日)
 [説教題] 環境の力よりも強きもの
 [聖書] ガラテヤ1:10〜24
「わたしが宣べ伝えた福音は人間によるものではない。…ただイエス・キリストの
啓示によったのである。」

 私たちの人生、品性、一生、すべて私たちにつながるものですが、それは環境の影響を
受けやすいものです。聖書の中でも、ヨハネという人が「すべてのことに恵まれるように」と
の祈りを献げている箇所があります(Vヨハネ2節)。たましいが恵まれ、健康が祝され、
そして、環境が整えられる−それは、私たちの生きる上で大変幸せなことであると語って
います。
 昔から「氏より育ち」とは、よく言われており、様々な意味で良い環境に身を置くことは確
かに大切でしょう。良くないと分かっていながら、そのような環境につい惹かれ、身を置い
てしまうような事はありませんか。神様の前に置くこと、これほど良い環境はありません。
本当に主をほめたたえることのできる、またイエス様をお証できるような環境に身を置くこ
とを、ますます心がけたいものです。
  さて、今日の聖書の箇所ですが、ここには環境の影響とは異なることが、強調されてい
ます。筆者のパウロという人は、ユダヤ教の中でも特に熱心なパリサイ派の家庭に生まれ、
育ち、教育を受け、ガマリエル門下の優等生であったということから、かつては、キリスト教
をひどく迫害していた人でした。けれども、イエス様の福音に触れ、救われるのですが、そ
のような環境の自分が救われたのは、ただイエス・キリストの啓示によるものであることを
ここに宣言しています。それは、境遇や環境を越えたところに、神様の不思議な力が働か
れることを述べているのです。
 まずそこには、「母の体内にある時からわたしを聖別し」(15節)とあるように、人間の知
恵や知識では知ることのできない神様の力、深い摂理のあることを示しています。神様の
選びとは、人間のどんな状況にも関わらず、神様が選んで、絶対的に支配することです。
人間的条件とは関係なく働く、神の御業です。その選びが働くときに、がんじがらめのどう
しようもない状況にあっても、そこから解放して下さるのです。
 そして次に、「み恵みをもって」と、その選びの背後には、神様の恵みがついている事を
語っています。神様の選びに伴うものの保証は、恵みであるということです。救われたのは
良いが、イエス様を信じないときの方が良かった…というようなことはあり得ない、というこ
となのです。
 イエス様とは全然関わりのない世界にあった人が、救われて、そして御霊みずからが「み
言葉に伴う確かなしるしをもって」、救われ甲斐のある生き方として現して下さる…これが
選びに伴う恵みなのです。だから、神様の恵みは、人間の資格や、条件を超越して働くも
のなのです。素晴らしいことですね。
 私たちは、確かに環境に支配されています。時には、どうして神に感謝することなどでき
ようかと思うような、苦しみ、痛みの中にいることもありますが、「主よ、わたしは深い淵か
らあなたに呼ばわる。…わが魂は夜回りが暁を待つにまさり、夜回りが暁を待つにまさっ
て主を待ち望みます。」(詩篇130篇)というような祈りが献げられるとき、神様は必ず恵み
の世界を見せて下さるということなのです。
 環境とは強いものです。ですから、時にはしんどいと感じることもありますが、その中に
信仰を持って、忍耐を持って生きている時に、神様は必ず、摂理の中に入れられ、神に
選ばれたこと、そしてその事が確かであることの恵みのしるしをもって導いて下さいます。
  どうか、環境よりも強きものに、目を留め、その恵みに応答することによって、神様の
栄光をあらわすことができますように。

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