説教要旨
2001年6月24日(日)
[説教題] すべてにまさる神の御子
[聖書] ヘブル1章全 「神は…この終わりの時には、御子によって、
わたしたちに語られたのである。」
私たち人類は、何かを求めて信じられないほどの(古代エジプトから今日まで、実に
5000年にも及ぶ)長旅を続けています。それは、神探求の旅です。今日、日本全国には、
神社だけでも11万あるということであり、この事からも、神探求の旅の一面、日本人は信
心深いという一面を見ることができます。
けれども、ヘブル人への手紙の1節に「神は…語られた。」とあります。つまり、人間が神
を探し発見するのではなくて、聖書では神様の方から(それは、律法や儀式、制度、士師、
預言者などを通して)語って下さったとあるのです。ですから、キリスト教は啓示の宗教=
神様の方から神様を示された、という教えなのです。
この手紙が書かれた当時のクリスチャンは、キリストの神性につまずき、そのためにキリ
スト教信仰から、後退し、昔の状態に転落しつつありました。そこで神の御子としてのキリ
ストの比類なき偉大さを、この手紙では記しています。
そのすべてに勝る神の御子の素晴らしさですが、次の6つの点から見ることができま
す。
1.御子は世界の創造者である(1:2)
創世記1:26を見ると「われわれのかたちに、われわれをかたどって人を造り」と
あるよう
に、単一の呼び名でないところから、父なる神が世界を創られた時に、子なる
神キリストも
そこで一緒に働かれたということがわかります。
2.万物の相続者である(1:2)
相続者という言葉は、キリストの究極的な勝利と栄光を言い表したものです。
3.御子は神の栄光の輝きである(1:3)
イエス様を見るならば、神様の本質そのものが分かるということです。それは、福音書の
イエス様を見るならば、神様は平和、柔和、義、善なるお方ということが分かると
いうことで
あり、それは神様の栄光が現れているということなのです。
4.キリストは宇宙の保持者である(1:3)
その力ある言葉をもって万物を保っておられるのですから、イエス様の世界に生かさ
れて
いるものにとって、決して偶然はないということです。マタイ10:29〜30に
あるように、イエス
様の許しがなければ、小さな命ですらも偶然に失われることはない、
その様にして万物を保
持しておられるのです。私たちが神様の御心に沿っているならば、
すべてのことに於いて決
して偶然はなく、神様の前において失敗はないのですから、安
心しておることができます。
5.キリストは人間のきよめぬしである(1:3)
あがないの業は、イエス様誕生の目的でした。イエス様は諸々の罪から私たちを救う
ため
においで下さったあがない主です。これは、この手紙の中心思想です。
6.キリストは天にあってとりなす方である
イエス様は生きて天におられ、今も私たちのためにとりなして下さるお方です。(7
:25)で
すから、私たちは安心して進むことができるのです。
これらのことは、何と素晴らしい励ましであり、慰めでしょうか。
そして、さらに御子キリストの優越性を6つの点から解き明かしています。
1.すぐれた御名(1:4〜5)
当時、御使いを礼拝する事が広まりつつありましたが、イエス様を同じ地位におくこ
とはでき
ないことを、旧約聖書の約束の成就として、詩篇2:7やサムエル下7:14
を引用して述べて
います。
2.すぐれた威光(1:6)
御使いたちから礼拝を受けるお方であり、同列でないことを示しています。
3.すぐれた本質(1:7〜8)
キリストただ単に神の子と呼ばれるだけでなく、実に神と呼ばれています。
4.すぐれた模範(1:9)
イエス様の生涯は、義を愛し、義に生きた生涯でした。食するひまも、寝るところも
ない中で、
良きことをなし、良きことを語られました。
5.すぐれた業(1:10〜12)
世の中は変わってしまいますが、イエス様はいつまでも変わることはありません。(1
3:8)
私たちを神様のもとへ連れて行くお方は、御使いではなく、この世界を創られ
たイエス様ご自
身です。変わることなく真実をもって、私たちに報いて下さいます。そ
の信仰と望みと愛は変わ
ることはありません。
6.すぐれた未来(1:13〜14)
「敵を足台とする」とは、終わりの時の究極的な勝利であり、時代を問わない不朽の
真理です。
いつでもはばかることなく、恵みの御座へ近づき、祝福されたものとして慰
めを、みことばをまた、
それに伴うしるしをあたえていただけるのです。
ヘブル人への手紙は、堅い食物であるかもしれませんが、異邦人である私たちは特に学ぶ
必要があります。そして、初歩の教えにとどまっておらずに、完成をめざして進まなくてはなり
ません。でないと旧約時代の律法的な教えにさいなまれて、過去のものに足を救われてしま
い、私たちの信仰すら危ういものになってしまいます。そのためにこのメッセージを我が物にし
ていきたいです。