説教要旨

2001年7月1日(日)
 [説教題] 信仰生活における危険
 [聖書] ヘブル2章全
「さらに神も、しるしと不思議とさまざまな力あるわざとにより、また、御旨に従い
聖霊を各自に賜うことによって、あかしをされたのである。」

 私たちは、主の恵みの中に生かされています。その事に強く心を止めないと、おし流されて
しまいます。突然に襲ってくる台風には心を備えることができても、気づかない間に少しずつ
潮に押し流されて起こる漂流や破船の危険には、気づかないことが多いのです。 正面きって
キリストに反抗する出来事に対しては、ほとんどの人が勝利を得ます。何が問題であるか分
かっていますから、自分も祈りますし、周囲の多くの祈りも献げられます。また、自らも自重し、
神に謙遜につかえ勝利します。しかし、月日が経つうちに、次第に信仰から離れていくという
押し流す力、これに強い人はあまりいません。ずるずると、いつの間にか罪の中へ引き込ま
れてしまいます。「おし流される」とは、水夫たちが天候や風向きや、潮の動きに対する注意
を怠ったために、船が港や停泊地点から押し出されて漂流してしまった状態を指しています。
そのため、「いっそう強く心に留めねばならない」とここで語っています。「留める」とは、信仰
の錨を降ろすことです。
 それには、「初め主によって語られた」神のことばをしっかりと握りなさいとあります。福音の
真理は、神のみ言葉によって、保証されています。み言葉は主ご自身ですから、イエス様が
言葉となって下さった、そのイエス様によって保証されている福音の真理を握ることです。
 また、いつの時代にも、み言葉を聞いて信じて従い、、その福音の恵みにあずかった人、み
言葉の生き証人があります。私たちの信仰生活において、いろんな人と出会います。臨終の
場において、痛みと苦しみのただ中にありながら、主の前に平静である、おし流されないその
様な方々を多く見てきました。また、経済的な貧しさや、人間的な境遇の不遇のなかにあって
も、「我がうちにいますキリスト、栄光の望み」として輝いておられる方もあります。そういうこ
とは、道徳や、教訓を勉強して、心が入れ替わるのでなくて、全く内側から、キリストの恵みに
よってなされることです。その様な方々を通して、私たちも福音を提供されてきました。福音が
確かであることの真理は、み言葉のみならず、その神の言葉を聞いた人たちを通して、示され
ていくのです。
 そしてさらに、「神も、しるしと不思議とさまざまな力あるわざとにより、また、御旨に従い聖霊
を各自に賜うことによって、あかしをされたのである。」(4節)とあるように、私たち自らもそうさ
れているとあります。今度はその福音によって救われた私たちが「しるしと不思議とさまざまな
力あるわざとにより」証しできる者とされているとは、なんと素晴らしい事でしょう。「御旨に従い
聖霊を各自に賜うことによって」御霊の実を結ぶことができるのです。御霊の実とは、「愛、喜び、
平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」であります。(ガラテヤ5:24)そういうことと全く
無縁であった者でも、救われたら、その命を与えられたわけですから、そのキリストの命にあず
かって、御霊の実を結ぶことができ、それによって、福音が確かであることを保証されるのです。
 このように福音の保証人は、@イエス様自身のお言葉 Aそれを聞いて従った先輩のクリス
チャンたち Bそして今の私たち であり、そこにしっかり目を留めていないと、私たちは、押し流
されてしまいます。
 「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。」とあ
るように、イエス様を見上げないで、私たちは信仰生活を右にも左にもそれないで全うされるこ
とは決してありません。これが、この2章の前半部分、警告と勧告です。
 次に述べられているのは、キリストの謙虚です。(5節から18節)
 イエス様がこの地上においで下さって、人間の立場に立ち、人間と一体となることこそがイエ
ス・キリストの特質でした。イエス様ご自身は、まことの神の子であると同時に、真の神の人で
した。ですから、神と人との間の橋渡しを達成できる唯一のお方だったのです。イエス様こそが、
神の声を人に伝える事ができ、神の臨在を示すことができました。同時に、神のみ前に導くこ
とのできる偉大な大祭司だったのです。このわざは、ゴルゴダの十字架に於ける一回的な救
いのわざにおいて、それを全うされました。
 6節は、詩篇8篇の描写ですが、ここに、人となってこられたキリストを見ます。
 私たちも、決して順風満帆ではありません。悩み、苦しみを経験することがありますが、そん
なときもイエス様は、「兄弟と呼ぶことを恥とされない」で私たちの苦難、悲しみと一体となって
下さいます。人間の弱さを自らも経験して、試練を受け、苦しまれたからこそ、「わたしは決して
あなたを捨てない」と言って下さり、助けを与え、勝利を得させて下さるのです。だから、わたし
たちは「事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上
げるがよい。」のです。「わたしは祈りを聞く」と言って下さるから、勝利を確信して祈るべきで
す。もう一度、イエス様を見上げたいですね。
 イエス様は、天地万物を創り、ほんとうに我らの祈りを聞くことのできるお方、そうしたお方と
して、主の前に祈り、お迎えし、そして主に従わせて頂きたいと思います。

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