説教要旨

2001年7月15日(日)
 [説教題] セルフ・コントロール
 [聖書] ヘブル12:1〜11
「信仰の導き手であり、またその 完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろう
ではないか。」

 「セルフ・コントロール」という言葉を日本語で言うと、「自己制御」「自己鍛錬」ということ
になるかもしれません。
 自分を自分で制御する事、これはなかなか難しいものです。分かってはいるけれども、
やめられない、というセルフ・コントロールできていない人は、たくさんあります。
 では、どうしたら私たちはセルフ・コントロールできるようになるのでしょうか。
聖書には、まず第一に、「主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果てて
はならない。」とあります。聖書の神様は、私たちを訓練されます。私たちは神様によって導
かれ、生まれたのですから、聖霊ご自身の導きの中に、父なる神に従う者でなくてはなりま
せん。
 イエス様は、私たちの救いのために、十字架の道を開いて下さいましたが、私たちも十字架
に自我をつけて、キリストの御心を御心として生きる…これが御霊に世って生きる者の生き方
です。しかし、聖書には自我は御心に従うことを喜ばないとありますから、こうしたことで、私
たちは訓練を受ける者となるのです。 そして、私たちは、誰でも弱いところがあり、神様はそれ
をすべてご存じですから、その人の弱いところに届いて、訓練を与えられます。イエス様との間
に与えられている平和を壊す者が、私たちの敵です。この世の君、悪魔の巧妙な策略です。
それに負けてはいけません。すべてのことを、一つ一つ主に申し上げていくなら、私たちを実
の結ぶものとして下さいます。
 第2に、聖なる目的に生きることです。イエス・キリストにある生命の御霊の法則が、罪と死
の法則から解放して下さり、神様の喜ぶことができる者として下さいます。聖なる目的をアーメン
と言って受け入れたならば、神様がそれに必要な御霊の力を、御霊の法則を私たちに注いで
下さる、これが御霊の法則です。それを思って、イエス様の恵みに中に、聖なる目的、栄冠に
向かって走ることができるのです。
 「それだから、心の腰に帯を締め、身を慎み、イエス・キリストの現れる時に与えられる恵みを、
いささかも疑わずに待ち望んでいなさい。」(Tペテロ1:13)とあるように、神様がもうけて下
さる栄光の日がある、その事を思って、勝利を信じ、栄冠を信じ、安息、喜びを信じ戦い抜くこ
とです。私たちは、終わりの時のことを思って、言ってはいけない、やってはいけない、つなが
りを未だ持っていてはいけないというときは、はっきりと訣別することです。
 「世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうち
にない。」(Tヨハネ2:15)とは、聖なる目的を促すお言葉です。自分の体を打ちたたいても、
聖なる目的、栄冠に向かって、神の御旨を行う者となりたいですね。そのために、私たちは、
世と世にあるものを愛してはいけないのです。クリスチャンは、スチュワード・シップ=管理者
精神を持って、欲に対してはNOということ、そして、自らを鍛錬していき、平安な義の実を結
ぶ者でありたいです。

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