説教要旨
2001年7月29日(日)
[説教題] キリストにある安息
[聖書] ヘブル人への手紙第4章全
だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかってい時機を得た助けを
受けるためには、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。
4章にはキリストの安息が記されています。不安は21世紀のシンボルであると言った人がい
ますが、今の時代は不安に満ちており、平安、安息が遠のいています。そんな中で、1節に「神の
安息にはいるべき約束が、まだ存続している」とあります。この意味を順に見ていくと、(3節)神
を信じる者には霊的な意味での平安が与えられます。一週間のうちで不安を感じない人はいない
ですが、神はそんな私たちに報いて下さるのです。そして、(6節8節)約束の地はイスラエル人に
与えられたカナンです。また、(4節)神が天地創造を終えて7日目に休まれたのです。
神を信じる者は約束の地カナンのように神の永遠の安息に入ることが出来るのです。
(12節)神の言(聖書)は命の源であり、その御言葉が働くなら、人の心の奥にある隠し事を
見通して、安息を失わせている原因を探し出さすのです。神の言葉を信じていけば空しくないの
です。神の安息に入る約束はあらゆる時代に生きて働いているのです。しかし、聞いただけで信仰
によって結びつけられなければ無益です。信仰を持って安息に入るべきです。
(14〜16節)イエス様は栄光の大祭司す。また、この大祭司なるイエス様は同情心に富むお方
です。イエス様は試練に会い耐え抜かれたので、同情と憐れみを示すことができるのです。イエス
様が人間と無関係なら、私たちの信仰は頼りになりません。しかし、イエス様は私たちと同じ経験を
されたので、ささやかなつまずきにも思いやることができるお方です。時機を得た助けを得るために
私たちは恵みの御座(教会、礼拝)にはばかる事なく(遠慮することなく)近づきましょう。