説教要旨
2001年8月19日(日)
[説教題] 信仰における成長
[聖書] ヘブル人への手紙第6章全
そういうわけだから、わたしたちは、キリストの教の初歩をあとにして、
完成を目ざして進もうではないか
1世紀当時のユダヤ人クリスチャンは試練に直面しており、毎日こつこつと信仰生活を
行わないと成長がストップしてしまう状態でした。そこでキリストの教えの初歩を6つ挙げ
られ、基本から次へと成長し、進んでほしいと言われました。
1悔い改め(方向転換してイエス様の方を向くこと)
2神への信仰(自分の一切を委ねる、お金や健康よりもイエス様を大切なものとする)
3洗いごと(洗礼、イエス様と結合した生き方)
4按手(手を置いて祈ること。手を置く人の祈りを通して賜物の伝達を象徴する儀式)
5死人の復活(キリスト教の教えの中でも基本中の基本)
6永遠のさばき(最後の審判のとき、栄光の体を持ってよみがえる)
これらのことは基本であり、よく覚えて成長してほしい、基本がしっかりしていれば揺るがない
のですから。
4節からは背教について述べています。いったん神と結びついたのに離れてはいけないの
です。神の恵みに与ったのに堕落してはいけません。悪魔は金、異性、権力などその人の
弱いところにつけ込みますが、負けてはならないのです。
9節からは私たちの希望を述べています。一つは、神様は私たちを覚えてくださるということ
です。2つ目は忍耐することです。消極的ではなくむしろ進んで困難に打ち進むことが必要です。
3つ目は再臨です。来るべきお方が来られよくやったと喜ばれるように生きていくということです。
一本火の通った信仰が必要です。
16節からはイエス様を信じることで揺るがないと述べられています。アブラハムへ神が約束
されたように神は私たちに誓われたのです。イエス様を信じる者は慌てることがありません。
主を信じて歩む時、一つ一つのことが必ず良いように変えられていくのです。
イエス様を信じる者は失望に終わることはないのです。