説教要旨

2001年9月23日(日)
 [説教題] 霊の人であれ
 [聖書] コリント人への第一の手紙第三章1〜9節
 「兄弟たちよ。わたしはあなたがたには、霊の人に対するように話すことができず、
 むしろ、肉に属する者、すなわち、キリストにある幼な子に話すように話した。」

 今日23日と24日に当所で西日本再臨待望大会が開催されます。

 再臨待望大会では四重の福音(新生、聖化、神癒、再臨)が語られます。人によっては聖化が
得意な人もいて、再臨はちょっとという人もいますが、この4つはそろって一本の串が通っている
必要があります。再臨を語らないと真に救われているとは言えないのです。

 今日の箇所第一コリント第三章ですが、ここでコリントの人は「パウロだ、アポロだ」と言ってい
ますが、それぞれ人に特徴はありますが、仕えるのは神のみでないといけません。第7節「植え
る者も水を注ぐ者も、ともに取るに足らない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。」とあ
ります。それぞれが分派を作って仲違いをしてはなりません。指が5本あってそれぞれの役目を
果たすように、人それぞれその人の分による役目を果たし協力しあっていかないといけません。

 教会に来ていても、洗礼を受けていても肉の人であるならふつうの人なのです。それは、神を
中心としているのか、自分を中心としているのかの違いです。肉の人のままでは第一節にある
ように「キリストにある幼な子」すなわち成長していない、かんしゃく持ちのままなのです。いつ
までも、乳しか飲めない子ではなく、堅い食べ物も食べられるようにならないといけないのです。
自分だけではなく、他人の声も聞いて、ハーモニーを奏でられるようにしたいものです。愛という
字は心を受けると書きますが、キリストの心を受け入れ自分中心にならず幼な子から成長したい
ものです。

 わたしたちは「霊の人」(1節)であり、「神の同労者である」(9節)であることを忘れず、悪魔の
誘惑に負けず生きて行きたいものです。

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