説教要旨

2001年12月30日(日)
 [説教題] 平和をつくる者の幸い
 [聖書] マタイによる福音書第5章1〜16節
     平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。

 2001年最後の礼拝の恵みに与れることを感謝します。現代は、文化も進み、IT化で便利に
なりましたが、平和の道を見いだすことはできていません。世界でもテロのように血で血を洗う
争いがおこり、私たちの日常でも、家庭や職場などでねたみや憎しみから争いがあります。
しかし、世の中に平和を願わない人はいません。わたしたちは、平和を求める祈りを捧げる身でありたいです。

 聖書ではそこでとどまらず、平和をつくり出す人は幸いであると教えています。イエス様の
生きてこられたように(争ったり党派心や虚栄にあるのではなく)愛の心を持って生きるべきなのです。

 行為だけ−たとえば表面的にほほを差し出したり上着を与えても、それが愛から行われないと続きません。
動機そのものが潔められるために祈らなければなりません。内から湧き出てくるものでないといけないのです。
イエス様が、十字架の上で悪人のために祈られた、その見本に従いましょう。

 有り余った物でなく、犠牲がありコストのかかった物こそ尊いのです。それを捧げられるどうかが大切です。
私たちはまず神の国と神の義を求めるべきです。そうすると、衣食住は後から備えられるのです。

 私たちはイエス様の子として従順に従って、平和をつくり出す人となりましょう。
 私たちの教会でもさらに祝福の輪が広がっていくことを願って共にお祈りを捧げましょう。

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