説教要旨
2002年1月27日(日)
[説教題] 日々の十字架
[聖書] ヨハネの第一の手紙 第3章13〜24節
主は、私たちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。
それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。(16節)
聖書の中には神の愛があふれていますが、その中で一番多く神の愛が出てくるのが今日の
ヨハネの第一の手紙です。その中でも16節がクライマクッスです。
第3章では神の子として生活するために最も大切なものは神様の戒めを守ることであり、
戒めを守るためには潔い生活を送ること、それは愛の生き方をしているかどうかでわかると記されています。
木は実によって知られます。良い木かどうかは実を食べるとわかります。私たちの人生も、
その行為によって知られるのです。そのことをヨハネは「すべて義を行わない者は、神から出た者ではない。」
と語っています。義であるかどうか、正しいかどうかは、自分の兄弟である人々を愛しているか
どうかでわかるのです。
私たちがクリスチャンとして救われるとイエス様のかたちに似てきて、その時に義の生活、潔い生活、
愛の生活を送るようになるのです。
「主は私たちのために命を捨てて下さった。」とありますが、イエス様は私たちのために御自分の
命を提供された、投げ出されたのです。そしてイエス様に触れた人たちがその祝福に与って来たのです。
イエス様の生涯は愛を注ぎ出す生涯であり、今も神の右に座して祈ってくださっているのです。
「それによって、私たちは愛ということを知った。」のところは、イエス様が命を提供して下さったことで、
私たちが愛を知ることができたということを述べています。愛(アガペ)は神の愛です。
エロス(肉欲の愛)、フィリア(友愛)、ストルゲ(親子、兄弟愛)
など他の愛は条件付きの愛です。
それに対してアガペは条件のない愛なのです。愛は純粋でなければならないのです。
「それゆえに、わたしたちもまた、兄弟たちのためにいのちを捨てるべきである。」とあります。
神の愛を受けて生きるようになると、愛が愛を生むのです。そのための犠牲をいとわなくなるのです。
兄弟のために死ぬことができるのです。
神様の愛を第一にし、私たちも愛のある人生を送りましょう。