説教要旨
2002年2月17日(日)
[説教題] キリスト教はもうおしまいだ?
[聖書] 使徒行伝第22章1〜21節
それはあなたが、その見聞きした事につき、すべての人に対して
彼の証人になるためである。(15節)
20年前のバイブルキャンプで最後の作文に次のよう書かれたのを見てショックを受けました。
「科学万能の時代にキリスト教は合わない。21世紀にはキリスト教は存在意義を失うと思います。」
このように感じている人は結構多いという事実に出会ってきました。しかしこのようにキリスト教が
不要であると言われる状況は2000年の歴史の中では幾度となくありました。
1つ目はイエス様が生きておられた時代そのものです。主が十字架に付けられたとき、
キリスト教はもうおしまいだと思われました。しかしその弟子たちが命がけで伝道し、
主を信じる人があちらこちらに起こされたのです。
2つ目は50年から約250年間に亘るローマ皇帝の迫害の時代です。ローマ帝国では皇帝が
絶対的存在、神でありキリスト教の教えとは対立し、キリスト教を禁止しました。
多数の殉教者を出した迫害にもかかわらず耐え抜き、ついにローマ帝国でキリスト教が認められる
時代が来たのです。
3つ目は日本の歴史においてです。ザビエルが伝道したキリスト教を秀吉、家康の時代に迫害し
国外追放を受けたり殉教した信者が多くいました。そんな中でも隠れキリシタンとして生き延びた方がおられ、
明治維新と共に国もキリスト教の禁止を解いたのです。
4つ目が現代の科学万能時代です。科学があれば神はいらないという考えに支配されてきました。
しかし、科学者の中でも人の生命を部品のように扱う生命操作の問題にぶつかる中で、
科学だけではなく原点に立ち返ることが求められています。
さまざまな時代にあっても、私たちはキリスト教を私たちがどのように見つめ直すかが問われています。
今日の宇宙時代にあっても、主の愛は変わっていません。主に愛されることより良いことはないのです。
キリスト教はおしまいだと言われる中でも、もう一度原点に立ち返り、信じて進んで行きましょう。