説教要旨

2002年3月31日(日)
 [説教題] 主と共に生きる
 [聖書] 詩篇第118章14〜29節  ルカによる福音書第24章25〜32節  
      家造りらの捨てた石は隅のかしら石となった。これは主のなされた事で  
      われらの目には驚くべきことである。(詩篇22〜23節)

 イースター礼拝を迎えられることを感謝します。イースター(よみがえり)を見て、私たちの心が
開かれるようでありたいと思います。  

 今日は聖書の2つの箇所から学びたいと思いますが、初めは詩篇です。詩篇は3000年前に、
過ぎ越しの祭りの時、エルサレムで巡礼の際に歌われた詩です。当時のエルサレムは、政治的には
弱い国でしたが、信仰的には強い国でした。私たちも天を目指す旅人(信仰者)であるなら、この詩の
意味をより一層学ぶことが大切です。 

 「家造りらの捨てた石は隅のかしら石となった。」石は捨てられても、神を信じる者にとって、非難などの
声があってもその権威は揺らぐものではない「かしら石」なのです。私たちにとって、イエス様の権威が
いかなるものかを示しています。この世で、策略で十字架に付けたとしても、その権威は負けることはない。
イエス様はこの世では捨てられた石でしたが、本当は一番確実で祝福に満ちたお方なのです。

  2つ目は、ルカによる福音書です。クレオパともう一人の弟子が途方にくれで、暗く立ち止まっていたとき、
「語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて。彼らと一緒に歩いて行かれた。」(15節)とあるように
主ご自身から歩み寄ってくださったのです。主が復活されたことで私たちも同じ恵みを受けているのです。

 苦しいときでもイエス様が共にいてくださる、そしてそ私たちが御言葉を語るときにいてくださることを
認識しましょう。聖書を信じて受けとめ生きることが復活された主に出会うことです。

 イースターを迎え、主が復活し共にいてくださることを感謝し、信仰の道を進みましょう。

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