説教要旨
2002年4月14日(日)
[説教題] 世の光なるキリスト
[聖書] ヨハネによる福音書第8章12〜20節
わたしは世の光である。わたしに従ってくる者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう。
イエス様は、「わたしは、世の光である」と語られています。これは、オリーブ山で語られたものです。
わたしたちは、やみの存在ではなく、イエス様に従うなら、命の光になるという言葉です。
この世で寄り頼んでいたものが、いかにもろく力がないか分かる時、この御言葉が、
いかに力強く素晴らしいか分かります。
「世の光である」という言葉は、キリストにこそふさわしい言葉です。8章の前半で姦淫の罪を犯した女を許し、
今後は罪を犯さないようにと語られた後に、続いて語られた言葉です。これに対して、パリサイ人はイエス様に対して
「真実をいっていない」と言ったのです。神なき人にとっては、この言葉の意味が分からないのです。
しかし、信仰を持っている私たちには、よく分かります。
父なる神、子なる神、精霊が一体であり、その生き方は裁かない生き方です。この世の学歴や、家柄などの
うわべだけの判断でなく、心の中を見るのです。
イエス様が世の光であることを受け入れられる人は、主の恵みによって救われるのです。
私たちが選ばれたことは、大きな恵みです。この世の様々な価値判断で分けられるなら、
立っていく力もなくなりますが、主はそんな裁きはしないのです。
私たちは、生まれたままでは、主の恵みに与ることはできません。神を中心として生きることが必要なのです。
イエス様は「この世の光である」ということを信じて歩んでいきましょう。