説教要旨
2002年4月21日(日)
[説教題] 「彼はわたしのこころである」−オモシネ−
[聖書] ピレモンへの手紙全
しかも、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上のもの、愛する兄弟としてである。とりわけ、
わたしにとってそうであるが、ましてあなたにとっては、肉においても、主にあっても、
それ以上であろう。(16節)
今日は、ピレモンへの手紙から、社会生活において福音、恵みがどういうふうに現されるかを見たいと思います。
教会での交わりの中で、信仰は力であることは確認していますが、日常生活では、つい長い物には
巻かれろという事があります。しかし、日常の制度、体制に対して、福音は決して無力ではなく、
乗り越えていく力があるのです。この世で言われていることが絶対ではなく、聖書の中にこそ対応していく指針があるのです。
聖書の中身に入りますが、ピレモンはパウロ先生がコロサイ地方を伝道していたときに救われたクリスチャンです。
そのピレモンをパウロ先生は同じ使命を持って、同じ苦労をしている同労者と言っています。
ピレモンの所にいた奴隷のオモシネが、ピレモンの物を盗み逃げ出しましたが、パウロ先生との交わりの中で
クリスチャンになり、パウロ先生に喜ばれる器に変えられていったのです。
オモシネの借金もパウロ先生が肩代わりし、ピレモンに赦してやってほしいと懇願するのです。
おそらく、ピレモンは受け入れてくれたのでしょう。
私たちも、社会生活において色々な問題にぶつかりますが、それぞれに堂々と対処していかなければならないのです。
祈ること、犠牲を払うことで福音の輪が広がるのです。パウロ先生がオモシネに接したように
私たちも愛を持って接したなら、神様はそれに報いてくださいます。反対に自分が不誠実だと、良い関係にはなりません。
社会生活の中でも、信仰を第一として歩んでいきましょう。