説教要旨
2002年4月28日(日)
[説教題] わたしは門である
[聖書] ヨハネによる福音書第10章1〜10節
わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。(9節)
「わたしは・・である」という断言が、聖書にはよく出てきます。イエス様が神の子であることを宣言している
御言葉ですが、今日は「わたしは門である」という所を学びましょう。
羊が牧草を見つけ命が保たれることは、当時のイスラエルにとって本当に価値にあることでした。
主に従うお互いはそのような結論に至るのです。羊飼いは、羊を外敵から守るために、石垣を積んで囲いを設けます。
門には門番がいて羊飼いだけに門を開くのです。羊たちは羊飼いの声を知っているので、他の人には付いて行かないのです。
イエス様の前に来た人は、かつての偽りの預言者やメシアであり、その人たちは、牧草を与えるのではなく、
盗人や強盗でした。私たちも、どの門をくぐってもよいということではありません。今日でも霊感商法など宗教の
トラブルは多いですが、真の宗教を見極めないといけません。
私たちは、主の救いに与り門をくぐっていますが、くぐっただけではいけません。細い道でも命にいたる門を
すすまないといけません。神様は、全ての人が救われ、真理の道が開かれることを望んでおられるのです。
門の中に入ってから大切なことが三つあります。
・肉(自我)つまり人の生まれつきの生き方にノーといって、神様に従うことを第一をすることです。
・他人に顔色を気にして、神に従うのを躊躇しないことです。
・将来に対する心配があっても、神様が責任をとってくださる、祝福を与えてくださる事を信じて進むことです。
私たちは、主の招いてくださった恵みにより、門に入っており、また出入りの中で生きていることを
再認識して歩んでいきましょう。