説教要旨
2005年2月13日(日)
[説教題] 霊的な訓練の重要性
[聖書] Tテモテ4章
「からだの訓練は少しは益するところがあるが、信心は、今のいのちと 後の世のいのちとが約束されてあるので、万事に益となる。これは確実で、 そのまま受けいれるに足る言葉である。」 終わりの時代と言われておりますが、神無き世界においては、惑わす霊(悪霊)に 気をとられて、気がつけば信仰を失ってしまうことが、しばしばあります。例えば、食 べ物のこと、健康のことなどにかまけて、神様から離れてしまうこという事が起きやす い訳ですが、見上げるべきお方、信じるべきお方を見上げて、神様を中心として生きる 事が大切です。 また、積極的に目には見えない神様を、目に見えるようにして従っていくことが大切 です。自分を訓練するということは、神様をおそれることが大切となり、それが信心で す。 御言によって、目に見えるようにあらわして下さった事に従っていくときに、神 様は、現実に目に見えるように、御業を見せて下さいます。その経験を積んでいくこと が、敬虔を修養することなのです。そのためにも、聖書がはっきりと述べていることに 対しては、従順に応答していかなければなりません。 わたしたちは、神様の前に裸になり、正直になって、教えを頂くこと(=敬虔を修養 する)ことが必要であり、そして点検して頂く事により、わたしたちの言葉にも、行状 にも、愛にも、信仰にも、純潔にも、神様の喜ばれる者でありたいと思います。そして、 そのことによって、自分自身が救われ、それを見ている人も救われるというこの世界は、 本当に感謝です。