桜
瞼に光を感じて目を覚ました。窓にかけているカーテンの隙間から差し込んでくるまぶしい光、朝なのね…。眠い目をこすりながら
ベッドから起きあがると、思い切ってカーテンと窓を全開にする。目の前に広がったのは淡い桃色の桜。淡く優しく世界を包んでいた
わずかな雪はずいぶん前に消え去り、それまで白かった世界が鮮やかに色付く。そして、風が運んでくる4月の香は私に遠い遠い記憶
を蘇らせる…
「もう、終わりにしよう…」
突然だった…けど、いつかこの日が来るのは最初からわかってた。
「そう…でも、最後にもう一度だけ…お願い…」
それだけ言うと、「No」と言われるのが怖くて、いつもやるように彼を抱きしめて不意のキスで黙らせた。
つかの間の静寂…そして、離した唇から漏れた吐息混じりの言葉…
「わかった…けど、その前にシャワー、借りるよ…」
バスルームに消えていく彼の顔が少し見えた。悲しげな瞳…でも、貴方にはこれからすぐ別の幸せが待っているじゃない。
でも、私にはもう……
「君も一緒にどう?」
バスルームから彼の声が聞こえて…私は誘われるようにバスルームに入っていった。
「こうして一緒に入るのも今日が最後だね…」
シャワーを浴びる私を見ながら湯船に浸かる彼は浮かんでいる泡を手ですくうと、息を吹きかけてシャボン玉の
ように私に向けて飛ばした。
「そうね。こうして貴方にシャワーの邪魔をされることももうないのね…」
「それは純粋に言葉どおりの意味?それとも…」
彼は湯船から出てくるとそっと泡の付いたまま私を後ろから抱きしめる。
「…それとも、淋しいって意味?」
「……どちらかしらね…」
私はそれを気にせずにシャワーで彼と私に付いた泡を洗い流す。と、今度は彼は私に唇を重ねてきた。
そのとき彼の左薬指に光る目障りな指輪が目に止まった。私はその光から逃げるように目を閉じて彼に
身体を預ける。すると、私は彼の腕に抱き上げられる。そして、バスルームを出てベッドに寝かされた。
幾つもの夜、彼のことを教えて貰ったのは決まって私の部屋のベッドの中。優しくて、少し意地悪で、
ときどき見せる無邪気な笑顔…私はここでそれまで知らなかった彼の姿を沢山見てきた。いいえ、
もしかしたらそれもまだ彼のほんの一部なのかも知れない。でも、いまさらになってまだ知らない彼を
知りたい訳じゃない。ただ、終わりの見える現実から少しの間、逃げているだけ…快楽の中に薄れていく
意識の中で私はずっとそんなことを考えていた…
「…明日、式場を見に行くんだ」
さっきまで幻想と現実の紙一重の狭間をゆきかっていた私に背を向けて、タバコに火を付けながら
彼は改めて、言い訳とも別れの言葉とも付かぬ話を始めた。
「君には悪いことをしたと思ってる。でも、もう……」
「いいのよ。貴方だけのせいじゃない…それに、私も大人のマナーに背く火遊びには…もう疲れたわ」
そう言って私も壁側に寝返りを打って彼に背を向けて目を閉じた。そしてそれが合図だったかのようにベッドが
きしむ音がして私の身体が少し持ち上がるような感覚があり、またしばらくして次に私が聞いたのはバタンという
ドアが閉じる音だった。
「これでもう貴方の腕の中で夢を見ることはないのね…」
心の中で自分にそう言い聞かせながら、私は眠りに落ちていった。彼の香りが残るシーツにくるまって…
「結婚おめでとう〜〜☆」
あの別れから二ヶ月…・六月のよく晴れた日曜日。教会前に赤い絨毯で作られたバージンロード。その上を白の
ウェディングドレスとタキシード姿で腕を組んでゆっくり歩いていく新郎新婦。参列者達は口々に二人への祝福の
言葉をかける。私はそれから少し離れた場所でその様子をじっと見つめていた。声をかけようとするけど言葉が
でない…嫉妬とか、そう言う簡単な言葉では片づけられない感情が私の中に渦巻いていた。今考えればただ、私が
あの人にその言葉を言ったが最後だと、あの人が私のことを忘れてしまうと…そう思って怖がっていた様な気がする…。
「…ィ!!上っ!!」
その時、誰かに名前を呼ばれた。上…?見上げると何か白い物が舞っていた。そして、その白い物は私がちょうど
前に手を伸ばした所に音もなく舞い降りてきた。
「あっ、いいな〜、次はあなたよきっと。おめでとう〜♪」
いきなり、私のまわりにいた見知らぬ人から声をかけられる。どういうこと?…すぐには状況が理解できず
呆然としていたが、すぐに今自分が手にした物を見て気が付いた。そう、さっき私が受け取った白い物は
ウェデイングブーケ。そして、そのブーケの中にメッセージカードが一枚入っていた。私はそれをそっと取りだす。
と、中にはこんなメッセージが女性の文字で書かれていた。
『話は今あたしの隣にいるバカ野郎から全部聞きました。最初はあたしもかなりショックだったけど、落ち着いてよく
考えるとそれ以上に貴女の方がショックが大きかったよね…。ほんと、このバカに代わって誤ります。ごめんなさい。
ただ、あたしもこのバカのこと好きだし、こいつもあたしを選んでくれたから…だから一足貴女より先ですけど、
幸せにならせてもらいます。その代わにはならないかもしれないけど、あたし達からこのブーケを送ります。きっといい人
見つけて幸せになってください。』
メッセージを読んでいくうちに私の心にあった雲は消え去っていた。私は顔を上げると、ちょうどバージンロードを歩く
新郎新婦の二人が目の前当たりにさしかかっていた。私はできるだけ二人に近づくとそっとさっきまで言えなかった言葉をかけた。
「お幸せにね…・セルフィ…アーヴァイン…」
あれから10年、私はいくつもの出会いと別れを繰り返した。そして…
「ママ〜、お腹空いた〜〜〜!!」
「え?あ、はいはい、待っててね〜すぐ作るからね〜☆」
息子の声で桜を眺めて思い出した遠い記憶から呼び戻された。
「ママ〜、このくつ下のもう片っぽ知らないかい?」
「え〜?ないの〜?タンスの2段目の引き出し、よ〜く探した〜?」
パジャマから着替えるのもそこそこに台所でエプロンに袖を通していると今度は旦那に呼ばれる。
「う〜ん…あ〜、あったよ〜ごめんごめん〜」
「も〜ちゃんと探してから言ってくださいね〜。朝はいろいろと忙しいんですから〜」
「だから誤ってるじゃん、ごめんって〜。あっそうそう、来週の日曜はみんなで遊園地行かないか?
同僚の残業手伝ったらタダ券もらってさ、君も日曜は仕事休みだろ?」
「あら、いいわね〜。じゃあ、私も今日中にしっかり仕事整理しておかないとね」
「そうそう、あとその時に美味しいお弁当頼むよ〜」
「わかってるわよ。厚焼き卵と、鳥の唐揚げでしょ♪」
「おう!あとタコさんウィンナーもだぞっ!!」
「はいはい…って時間いいの?」
「えっ…ゲッ!!もうこんな時間!遅刻しちまう〜。朝ご飯はいいやもう、いってきま〜す!!」
そう言って慌ただしく出勤する旦那を見送ると、今度は息子を幼稚園のお迎えのバスに乗せる。
「ほらほら、早くしなさい。ハンカチとちり紙持った?」
「は〜い、持ってる〜」
「忘れ物、他にない?」
「うんっ!!」
「よし、じゃあ行ってらっしゃい」
そして最後は私の番だ。部屋に帰ると洗い物、洗濯を済ませ、急いで着替えると戸締まりをしてガーデンに出勤する。
「おはようございます、みなさん」
「おはようございます、キスティス先生♪」
…こんな風に私は今、主婦とガーデン教師二足の草鞋を履いて大忙しの毎日を送っている。もちろん、
そのぶん充実した毎日だし、家族にもガーデンでも問題は皆無だ。ただ、ときどきその忙しさの中に生まれるふとした空白、
特に桜の季節にはふっと今朝の様に遠い記憶を思い出してしまう。私がまだ子供のようなあどけない瞳で駆け抜けた、
あまりにも綺麗な季節と、私が初めて人を愛することを教えてくれたあの人を…。
END
ども、Kallでございまする。こちらも、瑠璃幻想(管理人:ききりこさま)へ寄贈していた作品です。
管理人のききりこさまがうちのサイトで7000ヒットを踏んで頂いたときに承ったリクエスト作品で、
寄贈作品として瑠璃幻想に飾っていただいていた『キスティスの切ない恋物語』ございます。しかし、まあ僕に
してみれば異色の作品ですなぁ(^^;;何しろキスティメインにして書いた初作品(爆)ついでにアーヴァイン
には彼のファンの皆様に石を投げられそうな役回りを当ててるし…(アーヴァインファンの皆様ごめんなさいねm(_ _)m)。
でもでも、こんなこと(自分は新しい恋の真っ最中だったり、もうご家庭を持ってたりしているところにふっと人の
噂とかで自分の初恋の人が結婚したとか自分の友達とつきあい始めたとか)はみなさん多かれ少なかれ経験
有るんじゃないでしょうか?…って何を偉そうに言うか^^;でもって、ラストに毎度のことですがこの小説の
モチーフ曲紹介、今回のはJanneDaArcのアルバム「D・N・A」に収録されている”桜”って曲です。
あと、自分でこのような話を書いておきながら疑問なんですが。キスティと結婚する…って誰だお似合いなんだ?(爆)
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