空と文字(MOUNTAIN)

私のプロフィ-ル



寄田  享の近影 プロフィ-ル
           寄田 享
  昭和7年(1932年)に生まれる。
県立広島一中(現国泰寺高校)一年の時、
爆心から0.9Km地点の学校で被爆したが、
脱出を果たし九死に一生を得る。
  その後、原爆の影に脅かされながらも、
広島大学医学部に学び、内科医となる。
昭和36年から広島原爆病院で、次いで
広島原爆被爆者健康管理所に勤務し、
被爆者医療にたずさわる。
  その間昭和42年には、同じ一中脱出生だった
N君(白血病)を看取る。
昭和43年五日市(現広島市佐伯区)に
内科診療所を開院す。




雲(白)

あとがき

このホ−ムペ−ジを掲載しておりました寄田 享は 2002年(平成14年)1月に
悪性リンパ腫に罹患し、闘病を続けておりましたが、
2003年8月16日 71才の生涯を閉じました。
本人は亡くなりましたが、この被爆体験記は今後も掲載さしていただく事と致しました。
このホ−ムペ−ジを通じて、一人でも多くの方に原爆の恐ろしさと戦争の悲惨さを
知っていただき、それが平和について考えるきっかけになれば、
故人も喜ぶことと思います。      遺族 (妻)  悦子



雲(白)
英訳文掲載にあたって

ホ−ムペ−ジの英訳文を掲載し、
広く外国の方々にも被爆体験について知っていただく事は、故人の願いでもありました。
今回、NPO法人シニアネットひろしまの平山氏が英訳文の掲載のきっかけを作って下さり、
平山氏のご助力で、NGO Hiroshima Speaks Out の方々が翻訳の労をとって下さいました。
こうして英訳文の掲載にこぎつける事が出来ました。
念願がかないまして非常に嬉しく思っております。

世界中の1人でも多くの方が、このペ−ジを訪れ、
核兵器の廃絶について考えていただければと思っています。
ご協力いただいた方々のご好意に厚く御礼申し上げますと共に、心より敬意を表します。
2009年5月 寄田 悦子



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