No.01
 
                            四  昭  家  平  随  人  水  住  家  山  そ  旧       
                          当  人  和  族  時  っ  々  音  め  事  と  の  広  区  爆  
                          時  の  四  全  軍  て  に  身  ば  に  畠  亦  島  に  心  
     昇  四  三  次  長  妻  私  家  子  年  員  務  医  は  和  都  忙  で  東  市  私  地  
     地  男  男  男  男        庭  供  に  が  の  師  想  し     し  家  北  と  の  か  
     の                    に  も  結  楽  餘  は  像  て  長  い  も  の  は  住  ら  
     御                 八  は  全  婚  し  暇  遠  も  庭  閑  妻  数  隅  っ  居  東  
     バ                 束     部  す  く  に  く  つ  の  な  は  え  二  き  が  北  
     ア                       牛  る  過  は  と  か  鶯  春  見  る  葉  り  あ  へ  
     ち  嘉  嘉  嘉  嘉  愛  要     田  と  ご  花  も  ぬ  が  の  ぬ  程  山  区  る  約  
     ゃ  忠  宏  孝  光  子        で  間  す  と  家  こ  啼  朝  日  し  と  分  牛  二  
     ん                       生  も  こ  野  人  と  く  等  が  か  牛  さ  田  ・  
              1  1  3  4     ま  な  と  菜  に  だ  風  サ  幾  な  田  れ  町  五  
        2  8  2  4  4  2     れ  く  も  作  病     情  ラ  日  い  山  た  は  粁  
        才  才  才  才  才  才     た  此  多  り  む     等  サ  も     の  郊  太  の  
     広                          処  か  の  こ     都  ラ  あ  自  麓  外  田  処  
     島     牛  同  広     中        に  っ  土  と     塵  サ  る  動  の  の  川  広  
     工     田     島     国        移  た  い  も     に  ラ  と  車  連  田  を  島  
     業     国     市     軍        り   ° じ  な     ま  サ  言  な  な  寂  隔  市  
     専     民     立     管        住     り  く     み  ラ  ふ  ど  る  境  て  牛  
     門     校     中     区        み     に        れ  と  が     処  だ     田  
     学     学     学     兵                       た  谷        で           
     校     童  一  三     器                          川                    
     勤     疎  年  年     部                          の                    
     務     開  生  生     に                                               
                       応                                               
                       召                                               
 
  立  然  何  死  後  母  然  親  そ  御  二  心  兵  彼  さ  母  海  間  旧  ポ  一  が           ┐ 
  て  も  と  亡  日  も  る  子  の  茶  反  配  の  の  さ  と  軍  も  家  ツ  夜  ち  う  本     註  
  ず  御  言  し  日  亦  に  の  日  わ  田  だ  給  応  や  神  の  な  に  リ  彼  な  の  年        
  今  ば  ふ  た  赤  六  不  逢  か  か  少  っ  料  召  か  鋼  三  く  生  ポ  を  の  に  四        
  尚  あ  御  三  に  日  幸  瀬  ら  し  尉  た  で  と  乍  の  等  父  ま  ツ  呼  で  他  月  昇     
  慙  さ  気  人  収  朝  昇  を  私  と ┌┐ の  は  共  ら  社  兵  が  れ  リ  ん  班  の  私  地     
  愧  ん  毒  口  容  出  地  楽  の  言  広  で  母  に  も  宅  曹  死  た  語  で  長  兵  の  の     
  に  の  な  の  し  勤  一  し  当  ふ  工  早  は  社  一  に  に  亡  が  る  調  か  に  処  老     
  た  臨  こ  為  た  途  等  ま  番  様  専  速  路  宅  家  住  な  し  父  処  査  ら  比  に  姿     
  え  終  と  に  が  次  兵  せ  兵  な  教  私  頭  も  を  み  っ  母  の  に  し  事  し  応  は     
  な  に  か  殉  長  大  は  て  と  職  授  の  に  あ  成  同  た  の  事  よ  た  情  て  召  昇     
  い  は     じ  男  須  原  や  し  を └┘ 家  迷  け  し  工  が  手  業  る     が  来  し  地     
  次  私     家  宗  賀  爆  っ  て  見  の  に  う  ね  て  場  生  で  失  と  平  あ  る  た  一     
  第  も     系  一  町  に  た  毎  つ  斡  引  と  ば  い  の  死  育  敗  岩  常  る  日  昇  等     
  で  畑     が  君  で  遭     晩  け  旋  取  思  な  た  溶  不  て  で  国  口  ら  も  地  兵     
  あ  賀     断  の  被  ひ     私  昇  で  り  ふ  ら  が  接  明  ら  下  の  数  し  来  宗  の     
  る  村     絶  後  爆  八     宅  地  工     と  ず     工     れ  関  酒  少  い  る  一  母     
 └   に     す  を     月     に  一  専              員  宗  現  に  造  な  と  日  君  で     
     療     る  追     末     通  等  の     そ        と  一  在  移  業  い  の  も  は  あ     
     養     と  っ     死     わ  兵        ん        し  君  弟  住  の  彼  報  沈  2  る     
     中     は  て     亡     せ  は        な        て  は  は        が  せ  み  7        
     で                    て                                      に     才        
                                                                       と        
                                                                                

     各  し ┌┐   両  両  に  方  は   ┐ 四     言  に  あ  日  看  尚  苦  は  特 ┌┐ 生  さ  獨  内  島  シ  し  大  妻     
     自  て  自  搬  家  家  御  法  早  か  日  軍  っ  は  り  日  護  一  労  責  に  天  活  れ  歩  地  に  ン  て  陸  の  私  
     弁  い  動  は  か  に  願  は  く  ね  の  務  て  相  自  伸  婦  度  は  任  兵  皇  で  た  出  に  進  ゴ  馬  各  父  は  
     当  た  貨  兵  ら  下  ひ  な  瓦  て  夕  に  同  つ  慢  び  に  廃  並  の  器  陛  五  が  来  還  み  ラ  來  地  母  支  
     は └┘ 車  器  各  げ  し  い  に  御  方  追  僚  い  の  行  見  兵  大  重  部  下  ヶ  再  る  送  市  に  作  を  に  那  
     持  時  は  部  二  渡  て  で  せ  注  帰  わ  達  で  一  く  え  と  抵  大  で └┘ 條  び  様     街  上  戦  転  託  事  
     つ  に  許  の  人  す  疎  し  ぬ  意  っ  れ  を  若  つ  子  子  な  で  さ  幾  と  の  召  に  昭  戦  陸  の  戦  し  変  
     こ  貸  可  ト  と  様  開  ょ  と  の  て  て  羨  櫻  で  供  供  っ  は  に  つ  国  勅  し  な  和  の  馬  先    ┌┐ の  
     と  し  を  ラ  妻  に  中  う  取  あ  く  帰  ま  の  あ  は  を  て  な  気  も  の  諭  出  り  十  直  來  鋒  大  近  始  
     に  て  得  ッ  が  手  の  か  壊  っ  る  る  し  軍  っ  私  み  か  か  む  の  為  は  さ  廃  七  前  半  部  東  所  ま  
     し  あ  て  ク  行  配  倉 └   す  た  と  こ  か  人  た  の  る  ら  っ  つ  勤  以  脳  れ  兵  年  二  島  隊  亜  に  る  
     た  げ  毎  が  く  し  庫  と  そ  組  待  と  ら  が  父  何  と  は  た  か  務  外  裏  幸  と  八  月  を  に  戦  住  と  
      ° る  夜  夕  こ  た  の  言  う  内  ち  も  せ  出  は  よ  少  気  と  し  を  眼  に  運  し  月  十  縦  従  開  ん  共  
        の  牛  方  と  が  古  ふ  で  の  か  少  た  来  倒  り  年  の  言  く  す  中  焼  の  て  十  二  走  軍  始  で  に  
        で  田  牛  に  人  瓦  の  す  二  ね  な  も  る  れ  も  兵  精  ふ  成  る  に  着  軍  淋  三  日  し  し  と  い  妻  
        準  の  田  し  手  を  で  か  軒  て  い  の  後  て  嬉  の  か     り  様  な  大  人  し  日  敵  て  て  同  た  と  
        備  女  に  た  は  橋  五  ら  の  い  私  だ  継  も  し  感  妻     家  に  く  元  だ  く  不  弾  シ  タ  時 └┘ 三  
        も  学  疎     無  本  日  何  藁  た  が     は  五  い  じ  を     を  な     帥     召  自  に  ン  イ  上  て  人  
        不  院  開     い   ` 兵  と  ぶ  妻        強  年  楽  で  見     預  っ     陛  長  集  由  倒  ガ  国  海  勇  の  
        要  迄        の  中  器  か  き  が        い  の  し     る     る  て     下  い  を  乍  れ  ポ  の  を  躍  子  
        で  疎        で  野  部  よ  の           ぞ  后  み     と     妻  か        軍  解  ら     l     出  出  供  
           開           の  長  い  家           と     で           の  ら        隊  除  も     ル     発  征  を  
                                                                                                     
                                                                                                     

昭和14(1939)年8月29日撮影
(当時の)八束家
八束 要(少尉時代) 嘉光、嘉孝、愛子、嘉宏
(わたしの)お袋のアルバムにありました 嘉光さんよりお借りした写真 (わたしの)お袋のアルバムにありました
※いずれの写真も嘉光さんの奥様・宣江さんに許可いただき掲載しました14.11.26追記

1945(昭和20)年7月25日米軍撮影所蔵:米国国立公文書館
おじさんが勤務していた兵器部の航空写真
(おじさんの原爆記も紹介していた広島平和記念資料館平成24年度企画展「基町 姿を変える広島開基の町」の展示パネルより)
14.11.28追記
八束 要
八束 愛子
1901(明治34)年8月18日生まれ。(*被爆当時43歳)。 1967(昭和42)年8月31日没 享年66歳
1909(明治42)年11月10日生まれ。(*被爆当時35歳)。1979(昭和54)年3月11日没 享年69歳
生年月日確認:12.07.22裕記
昭和四年 =西暦1929年   おじさんとおばさんと結婚した年。
参考:日本での太陽暦採用は旧暦の明治5年12月3日が、明治6年1月1日とされたことがはじまりです。
No01-1
ばくしんち
爆心地
昭和20(1945)年8月6日8時15分17秒米軍により原爆が投下され炸裂した直下の地点をいいます。
爆心地 (Hypocenter) 説明碑とありますが一般的にはGround Zeroと云われています。
No01-1
うしたひがしく
牛田東区
現在:広島市東区牛田東といわれ住宅地として多くの住宅・マンションが建っています  位置関係図 No01-1
    ふたまたがわ
谷川 (≒二又川)
二又川は当時蛍も飛び交っていたようですが現在はコンクリートの水路といってもいいようになっていますが、一級河川です。 No01-1
ひろしましりつ
  ちゅうがっこう

広島市立中学校
昭和17(1942)年に創立され被爆当時は中広町に校舎があったそうです。
慰霊碑と簡単説明
 
次男の八束嘉孝さんも通っていて建物疎開作業中に被爆したと思われ亡くなった(と推測)。
No01-1
-広島市立中学校は、現在の広島市立基町高等学校の前身校です。-
1942 昭和17年 広島市立中学校(天満小学校地の一部で)設立。
1943 昭和18年 現在の西区中広町3-1-41現在の広島市立中広中学校校地に新校舎建設・移転。
1945 昭和20年 8月6日原爆被災。生徒・教職員369人(370人)が被爆死。
   昭和20年 10月市立比治山小学校校舎を借用、授業再開。
1947 昭和22年 現校地(中区西白島町25-1:陸軍幼年学校跡)に新築・移転。
1948 昭和23年 (学制改革で)広島市立城北高等学校に改称。
1949 昭和24年 広島県広島基町高等学校に改称。
1980 昭和55年 広島市立基町高等学校と校名変更。
 *沿革は、基町高校の資料を参考にしました。11.10.23裕・追記
ひろしまこうぎょう
  せんもんがっこう

広島工業専門学校
大正9(1920)年広島高等工業学校(広島市国泰寺新開)を設置され、昭和19(1944)年広島高等工業学校を広島工業専門学校と改称されました。   現・広島大学の前身 No01-1
そかい
疎開
学童疎開=第二次世界大戦末期、米軍による日本本土爆撃に備え、大都市の国民学校初等科児童を集団的、個人的に農村部へ、半強制的に分散移動させたものです。
昭和20(1945)年4月3日広島市の学童疎開第一陣出発

建物疎開昭和18(1943)年10月の「帝都及重要都市ニ於ケル工場家屋等ノ疎開及人員ノ地方転出ニ関スル件」と防空法の第二次改正が公布され防空法に基づいて内務大臣がその区域を指定し、府県知事が同区域内の建物の所有者に除去などの措置を命ずることができました。昭和18(1943)年3月、政府は「都市疎開要項」を決定、広島市でも133か所が指定されました。官公署や軍事施設、軍需工場などを空襲による被害から守るため、民家の取壊しと市民の強制立退きをすすめ、その取壊し作業には多数の学生・生徒や市民・周辺町村の住民などが動員されましたが、すべてが屋外作業であったため、原爆により多くの犠牲者をだすことになっりました。
昭和19(1944)年11月18日 広島市で第一次建物疎開の実施 原爆投下まで計6回実施されました。
No01-1
にっせき
日赤
(爆心地から≒1500m)広島赤十字病院  関連資料:慰霊碑と当時の写真
現在表記住所:中区千田町1 (現在は広島赤十字・原爆病院と呼ばれています)
No01-2
しなじへん
支那事変
(=日中戦争)
1937(昭和12)年7月7日、盧溝橋(ろこうきよう)事件にはじまり、1945(昭和20)年8月15日、日本の無条件降伏にいたるまでの日本と中国の戦争。
当初、日本政府は北支(ほくし)事変とよび、不拡大方針をとったが、軍部は戦線を拡大して主要都市・鉄道沿線を占領、宣戦布告のないまま、全面戦争に発展。
中国は1937年9月の第二次国共合作による抗日民族統一戦線が各地で抗日戦を強化した。1941(昭和16)年12月太平洋戦争の開始後は第二次大戦の一環となった。当時、日本側は支那事変・日華事変・日支事変とよんでいました。
馬來半島 =マライ半島(マレー半島)
マレー半島: インドシナ半島から南に細長く突き出た半島。クラ地峡以南をさし、現在、北部はタイ・ミャンマー、南部はマレーシアに属しています。熱帯密林におおわれ、スズ・ゴム・鉄の産が多い。マラヤ半島。
マレー作戦: 1941(昭和16)年12月8日(真珠湾攻撃と同時に)、マレー半島・シンガポール占領を企図して行われた日本軍の作戦。翌(昭和17)年2月、シンガポール(新嘉坡)で英国軍降伏。
=キロメートル、漢字で「粁」と書きます。 メートルは「米」と書きます。 ∴1km=1000mから粁。
のどか
長閑
1)(外界の状態が)穏やかで、のびのびと気持ちよく過ごせるようなさま。
3)心にかかることもなく、落ち着いて、のんびりとしているさま。
とじん
都塵
都会の雑踏。都会のわずらわしさ。


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原爆記・表紙 広島ぶらり散歩